デジタル大辞泉 「待賢門の戦い」の意味・読み・例文・類語 たいけんもん‐の‐たたかい〔‐たたかひ〕【待賢門の戦い】 平治元年(1159)平治の乱の際、待賢門付近で源義朝の軍と平重盛の軍が行った合戦。重盛は源義平と戦い、敗退した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「待賢門の戦い」の意味・読み・例文・類語 たいけんもん【待賢門】 の 戦(たたか)い 平治元年(一一五九)の平治の乱の際、待賢門付近で行なわれた合戦。源義朝の軍を平氏が攻撃し、平重盛は源義平と戦ったが敗退。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「待賢門の戦い」の意味・わかりやすい解説 待賢門の戦いたいけんもんのたたかい 平治の乱 (→保元・平治の乱 ) の戦いの一つ。平治1 (1159) 年 12月 26日,平安京大内裏 (だいだいり) 東面の待賢門内に陣取った源義朝の軍と,三千余の軍勢を率いた平重盛の軍との戦い。義朝の子義平が重盛を追って,右近の橘,左近の桜をめぐって戦い,重盛は危く逃れた。この直後の六波羅の戦いで形勢が一変し,逆に義朝の軍を平清盛の軍が打ち破り,平治の乱は終った。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by