後閑菊野(読み)ゴカン キクノ

20世紀日本人名事典 「後閑菊野」の解説

後閑 菊野
ゴカン キクノ

明治〜昭和期の教育家 桜蔭高等女学校初代校長



生年
慶応2年10月9日(1866年)

没年
昭和6(1931)年6月21日

出身地
播磨国(兵庫県)

学歴〔年〕
東京女子師範学校小学師範科〔明治17年〕卒,東京女子高等師範学校卒

経歴
後閑弥平次・こうの三女に生まれる。東京女子師範学校教師を経て、東京女子高等師範学校教授となる。塚本誠を婿に迎え家を継ぐ。国語修身作法家事を担当し、中学用「家事教科書」「作法教科書」「家計簿記法」を著作、「家事管理」「家事経済」の一般家政書も著すなど明治期の家事教育の基礎を作った。大正7年久邇宮良子が皇太子妃に内定すると教育係となった。13年桜蔭高等女学校創立と共に校長に就任著書に「家事提要」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後閑菊野」の解説

後閑菊野 ごかん-きくの

1866-1931 明治-昭和時代前期の教育者
慶応2年10月9日生まれ。母校の東京女高師(現お茶の水女子大)の教授をつとめ,大正7年久邇宮良子(くにのみや-ながこ)女王皇太子(のちの昭和天皇)妃にきまると,教育係となった。のち桜蔭(おういん)高女校長。昭和6年6月21日死去。66歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。著作に「家事提要」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「後閑菊野」の解説

後閑 菊野 (ごかん きくの)

生年月日:1866年10月9日
明治時代-昭和時代の教育者。本郷元町桜蔭高等女学校校長;久迩宮邸内学問所教育主任
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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