得丸保(読み)とくまるほ

日本歴史地名大系 「得丸保」の解説

得丸保
とくまるほ

式内社高忍日売たかおしひめ神社の所蔵文書に、

<資料は省略されています>

というものがある。正平六年(一三五一)に河野氏の一族土居通景が伊予国得丸保の地頭職八幡宮(現高忍日売神社)に寄進しているので、得丸保は中世に伊予郡徳丸村に存在した荘園と思われる。なお得丸保については貞和六年(一三五〇)の忽那家文書に、

<資料は省略されています>

とある。


得丸保
とくまるほ

徳丸とも記し、現徳丸町付近に比定される。嘉元三年(一三〇五)六月五日、中村なかむら庄雑掌公綱が訴えた地頭の検注抑留に関して、得丸保地頭代信親も参洛を命じられた(「沙弥某請文」讃岐弥谷寺蔵秘密対法集下裏文書)。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に「拾貫文 玉泉寺領 賀州徳丸・尾州味鏡分段銭」とあるが、寛正二年(一四六一)には富樫中務大輔(泰成か)が違乱に及んだことが知られ、また延徳三年(一四九一)にも秋岳長老による違乱があった(「蔭涼軒日録」寛正二年一〇月一三日条・延徳三年一二月一七日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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