デジタル大辞泉
「鹿苑院」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
ろくおん‐いんロクヲンヰン【鹿苑院】
- 京都市上京区の相国寺(しょうこくじ)にあった塔頭(たっちゅう)。足利義満の創建。院内に蔭涼軒があった。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
鹿苑院
ろくおんいん
相国寺の塔頭。現存しない。もと安聖寺といわれ、足利義満が同寺で日野宣子(義満の室業子の叔母、後光厳天皇の典侍)の菩提を弔っていた(「空華日用工夫略集」永徳二年六月条)。相国寺が創建される際に聖寿寺(白雲慧暁開基)に移建され、その跡に義満が「小御所」を建て(「吉田家日次記」同三年八月六日条)、これが鹿苑院と改称されたものである(「空華日用工夫略集」同月一四日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の鹿苑院の言及
【相国寺】より
…当時は室町幕府の東隣に位置し,将軍家の崇敬がとくにあつく,歴代将軍はしばしば本寺や塔頭(たつちゆう)に御成(おなり)した。塔頭として,当初は鹿苑院(ろくおんいん),資寿院,大智院,常徳院,雲頂院の5塔頭があったが,のちしだいに数を増した。その多くは将軍の御影(みえ)堂に指定され,鹿苑院(義満),勝定院(しようじよういん)(義持),慈照院(義政)のごとく,将軍の法名をもって塔頭名とした。…
※「鹿苑院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 