御崎新浜村(読み)みさきしんはまむら

日本歴史地名大系 「御崎新浜村」の解説

御崎新浜村
みさきしんはまむら

[現在地名]赤穂市御崎みさき朝日町あさひちよう正保橋町しようほばしちよう海浜町かいひんちよう東浜町ひがしはまちよう元禄橋町げんろくばしちよう元沖町もとおきちよう

尾崎おさき(現千種川)河口の陸続きの唐船からせん島の東にある塩浜村播磨灘に南面し北と東は尾崎村。南部に六〇―七〇メートルの三崎みさき山・福浦ふくうら山がある。新浜村とも記し、「元ト南海ニ斗出ノ半島ニテ人家モナク耕地モナシ」(「赤穂三崎新浜村沿革略記」岡本家蔵)の地を「海波アラシ、大石大船ヲ沈メ」築造したという(赤穂郡志)。浅野長直赤穂入封の正保二年(一六四五)、藩重役の連名で開発銀主と思われる大坂と播磨高砂の町人三人に対し、新塩田が同三年完成すれば翌年から四年間は運上年貢を赦免、五年目から年貢銀三〇枚、六年目からは本浜の運上年貢に三割下り、釜屋作りの材木葺草・竹は藩から支給など七項目の優遇策を示している(正保二年「御崎内浦新塩浜事」田淵家文書)。同三年には姫路藩領の塩浜村の的形まとがた(現姫路市)荒井あらい(現高砂市)など六村から一一人が入植を始め、寛文九年(一六六九)には移住者八二人となった(前掲沿革略記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報