日本歴史地名大系 「御嶽堂村」の解説 御嶽堂村みたけどうむら 長野県:小県郡丸子町御嶽堂村[現在地名]丸子町大字御岳堂依田(よだ)川と内村(うちむら)川の合流点からやや下流、依田川西岸一帯の村。依田川の対岸は中丸子村、北は飯沼村、南は辰(たつ)ノ口(くち)村、西は砂原(すなはら)峠・二木峠によって塩田(現上田市)と境をなす。御嵩堂村とも書く。諏訪・佐久と塩田を結ぶ砂原峠越えの古道が通じている。集落は南より上組(かみぐみ)・中山(なかやま)・南原(みなみはら)があり、また中山より飯沼へ通ずる道沿いに三角(みすみ)がある。木曾義仲が兵を挙げたと伝える依田城や、依田氏居館があったとされる。永正三年(一五〇六)下諏訪春秋両宮御造宮帳(諏訪大社上社文書)に「同庄御岳堂分」とみえるのが初見。天正一〇年(一五八二)武田氏滅亡のあと、真田氏領有。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by