インカ

デジタル大辞泉 「インカ」の意味・読み・例文・類語

インカ(Inca)

南アメリカペルー高原を中心に君臨した王、およびその部族。太陽を信仰し、高度の文明をもち、15世紀までに北はエクアドルから南はチリに及ぶ大帝国を建設した。→インカ帝国

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「インカ」の意味・読み・例文・類語

インカ

  1. 〘 名詞 〙 ( Inca ) 一二世紀前半頃、南米のペルー南部高地より出たケチュア族が中央アンデス地帯に築いた帝国の、中心部族の名称。→インカ帝国インカ文明

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「インカ」の意味・わかりやすい解説

インカ

ペルー中央山地の太平洋岸,アンデス山脈に沿った地域に分布した部族。ケチュア語を用い,アイユと呼ばれる一種の血縁・地縁的集団を基盤とした。のちクスコを首都とするインカ帝国(1250年ころ―1533年)を建設し,1400年代にはチムー文化王国を併合して北はエクアドルのキト付近から,南はチリ中部のマウレ川に及ぶ版図を占めた。国王インカは神の化身,太陽(インティ)の子であるとされ,祭政・軍事の最高権をもって専制政治を行った。1533年最後の皇帝アタワルパの代にスペイン人F.ピサロによって滅ぼされた。農業が中心で鉄器はなく,青銅器もまれで,木製の掘棒でトウモロコシ,ジャガイモなどを栽培したが,段々畑アンデネス)や水路の整備も特徴的である。さらに海岸と山岳部を結ぶ道路網も発達していた。インカ文明の特質は国家の最高神たる太陽神をまつる神殿をはじめ多数の巨石を使った大建築物に代表され,これに広場や街路も配置した都城プランはマチュ・ピチュ遺跡にうかがうことができる。また土器は幾何学文様を組み合わせた,鳥形取手の浅鉢,環状取手の水差しなどの多彩土器に特色がある。青銅器・金銀器は生活用品・装飾用品の両方があるが,特に黄金製装飾品にすぐれたものが多い。織物も古い技法を継承して発達し,つづれ織のポンチョなどが有名。天文・暦学はマヤ文化に及ばず,象形文字はないが,キープという結縄(けつじょう)文字が知られる。来世を信じ死者を崇拝する風習があり,歴代皇帝はミイラにされて太陽の神殿にまつられた。クロニスタ(年代記作者)のポマ・デ・アヤラの記録にインカ文明の姿とその変貌が描かれている。→アンデス文明
→関連項目アメリカ・インディアンエクアドルケチュアコンキスタドールチリペルーボリビアマンコ・カパクユパンキラテン・アメリカ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「インカ」の意味・わかりやすい解説

インカ
いんか
Inca

アメリカ、ペルーのクスコを首都としてアンデス世界に15、16世紀に君臨した王をさす。元来は特定の王の固有名であったものが、王の総称となった。さらに、15世紀30年代以後のインカ人の征服、拡大の開始に伴って、インカ王室の人々、貴族などがその名でよばれるようになり、やがてはクスコの部族全体がインカと称された。ただし、インカ帝国という名称はヨーロッパ人がつけたものであり、インカ人自身はその領土をタワンティンスーユTawantinsuyuとよんでいた。これは「四つの地方」の意味であり、インカ国家が東西南北に四分されていたことによる。

増田義郎

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「インカ」の意味・わかりやすい解説

インカ
Inca

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「インカ」の解説

インカ
Inka/Inca

(1)インカ国家の王。サパン・インカともいう,(2)インカ王族,(3)インカ文明創造者であるクスコのインカ人,の三つの意味がある。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

普及版 字通 「インカ」の読み・字形・画数・意味

【印】いんか

印章

字通「印」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内のインカの言及

【アメリカ】より

…メソアメリカ地域においては後1千年紀の間に,メキシコのテオティワカン,エル・タヒン,モンテ・アルバンおよびマヤの諸神殿のような祭祀センターが成立し,中央アンデスにおいても,ペルーのモチェ,ナスカ文化,ボリビアのティアワナコ文化などの文明が興った。1000年以後には両地域からはいくつもの地方国家が生まれ,その最終段階において,メキシコ盆地に拠るメシカ(アステカ)国家,ペルー,クスコ盆地に拠るインカ国家(タワンティンスーユ)が軍事征服を行って広領域にわたる政治社会を建設した。以上述べた農耕の及ばなかった地方,すなわち北アメリカの大部分や南アメリカのパンパ,パタゴニア地方などは,ヨーロッパ人の到着まで狩猟採集民の小集団が点在する人口密度の低い地域にとどまった。…

【インカ文明】より

…最大の版図は,北はコロンビア南部パストのアンカスマユ川から,南はチリ中部マウレ川に至る全長4000kmに及ぶ海岸地帯と高原,内陸部は東をアマゾン熱帯密林に接し,ボリビア,北部アルゼンチンを含む約300万km2にも及ぶ。インカincaはもともとインティ(太陽)の神の子で,部族の首長を意味し,唯一最高の絶対的な権力者を指す語であった。しかし征服者のスペイン人は皇帝も国家も,また帝国を支えた部族までをも,インカの名で呼んだ。…

【氏族制度】より

…むしろ,原始インド・ヨーロッパ語の語根ganに由来するサンスクリットのガナスganas,ギリシア語のゲノスgenos,ラテン語のゲンスgensなどと同系統の,ゴート語のクニkuni,古代北ヨーロッパ語やアングロ・サクソン語のキンkyn(英語のキンkin),中高ドイツ語のキュンネkünneなどの中に,ゲルマン人自身が氏族を意味したことばがあって,後日〈国王〉を意味するクニングkuning(ドイツ語ケーニヒKönig)の語は,もと氏族長あるいは部族長を意味したものではないかという。
[アステカとインカ]
 モーガンは,16世紀の初めにスペインの征服者と対決したメキシコのアステカ族の政治機構を,ヨーロッパ人の諸記録にもとづいて検討した結果,歴史家がこれを王国とか帝国とか称するのは,まったく想像上の擬制にすぎず,事実は,アステカの国家なるものは,イロコイ諸族と同様の,氏族―胞族―部族という組織の上に形成された3部族の連合体であったことを,とくに《古代社会》の1章をさいて詳論している。スペイン人がアステカの王もしくは皇帝と考えた職は,もともと旧大陸の専制君主にあたるようなものではなく,一種の議会の手で選挙された最高の軍司令官であった。…

【マチュ・ピチュ】より

…ペルー南部山地,クスコ地方にあるインカ時代の代表的な都市遺跡。標高2500m余の急峻な山の鞍部にあり,北,東,西は急な崖という特殊な立地条件からみて,平時の都市ではない。…

※「インカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android