徳川 頼貞
トクガワ ヨリサダ
- 肩書
- 貴院議員(侯爵),参院議員,南葵音楽図書館主宰
- 生年月日
- 明治25年8月16日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- 学習院〔明治45年〕卒
- 経歴
- 大正2年ケンブリッジ大学留学、10年音楽研究のため欧州各地を遊学。12年日本初のパイプオルガン付き本格的コンサートホール南葵学堂(なんきがくどう)を東京・飯倉に設立し、南葵音楽図書館を経営、貴院議員をつとめた。昭和22年以来参院議員当選2回、外務委員長を務めた。この間万国議員同盟会議、万国音楽連盟会議などに出席。国際文化振興会副会長、ユネスコ国会議員連盟会長、日本フィリピン協会、日本ベルギー協会、全日本音楽協会各会長、日本赤十字社理事、南葵育英会総裁、イタリア国立サンタ・チェチリア音楽院、パリ高等音楽院各名誉評議員。音楽文献、古楽器など音楽コレクションで有名で、プロコフィエフ始め数多くの著名な作曲家とも親交があった。著書に「薈庭楽話(わいていがくわ)」。
- 没年月日
- 昭和29年4月17日
- 家族
- 祖父=徳川 茂承(和歌山藩主) 父=徳川 頼倫(和歌山藩主)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
徳川 頼貞
トクガワ ヨリサダ
昭和期の政治家 南葵音楽図書館主宰;貴院議員(侯爵);参院議員。
- 生年
- 明治25(1892)年8月16日
- 没年
- 昭和29(1954)年4月17日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 学習院〔明治45年〕卒
- 経歴
- 大正2年ケンブリッジ大学留学、10年音楽研究のため欧州各地を遊学。12年日本初のパイプオルガン付き本格的コンサートホール南葵学堂(なんきがくどう)を東京・飯倉に設立し、南葵音楽図書館を経営、貴院議員を務めた。昭和22年以来参院議員当選2回、外務委員長を務めた。この間万国議員同盟会議、万国音楽連盟会議などに出席。国際文化振興会副会長、ユネスコ国会議員連盟会長、日本フィリピン協会、日本ベルギー協会、全日本音楽協会各会長、日本赤十字社理事、南葵育英会総裁、イタリア国立サンタ・チェチリア音楽院、パリ高等音楽院各名誉評議員。音楽文献、古楽器など音楽コレクションで有名で、プロコフィエフ始め数多くの著名な作曲家とも親交があった。著書に「薈庭楽話(わいていがくわ)」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
徳川頼貞 とくがわ-よりさだ
1892-1954 昭和時代の政治家。
明治25年8月16日生まれ。徳川頼倫(よりみち)の長男。貴族院議員をへて昭和22年参議院議員(当選2回,自由党)。ユネスコ国会議員連盟,日本フィリピン協会,全日本音楽協会などの各会長をつとめる。楽譜,音楽文献,古楽器類の収集家としても著名。昭和29年4月17日死去。61歳。東京出身。学習院卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の徳川頼貞の言及
【オルガン】より
…明治以後,洋楽輸入と宣教師によるキリスト教伝道の再開で,オルガンがキリスト教主義の学校,教会に設置されたが,礼拝用楽器であったため,洋楽全体では大きな比重を占めるに至らなかった。1920年徳川頼貞が南葵音楽堂に設置し,後に東京音楽学校(現,東京芸術大学)に寄贈したオルガンは,第2次大戦の前後を通じ,日本のオルガン教育に大きく貢献した。特に経済の高度成長期の60年代以降,大オルガンの輸入が急増し,最近では特に,地方自治体の公共ホールへのオルガンの設置が目だち,日本でのコンサート・オルガンの新しい歩みが注目される。…
※「徳川頼貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」