日本歴史地名大系 「徳次村」の解説 徳次村とくつぎむら 福岡県:三井郡大刀洗町徳次村[現在地名]大刀洗町菅野(すがの)筑後川支流の小石原(こいしわら)川下流左岸に位置し、北部を床島(とこしま)用水江戸(えど)水路が流れる。永正六年(一五〇九)大友義長により「徳次」一二町などが草野興秀に宛行われている(同年正月二四日「草野興秀知行目録案」草野文書/久留米市史7 資料編古代・中世)。久留米藩領古図に徳次村とみえる。本高は六二石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高四〇石・役高六七石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高七五石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では畑田三町九反余(うち開畑田一反余)・畑二町七反余・居屋敷八畝余。 徳次村とくつぎむら 島根県:鹿足郡津和野町徳次村[現在地名]津和野町名賀(なよし)鳥井(とりい)村の西、白井(しろい)村の北西、十種(とくさ)ヶ峰の北麓の山間村。名賀川上流域にある。寛永一四年(一六三七)の畑方検地帳(津和野町郷土館蔵)によれば畑高二三石余・五町二反余。宝永石見国郷村帳では高一〇二石余。明治四年(一八七一)の万手鑑によれば古高一〇二石余、寛永一四年の検地高一〇九石余、明治四年の総高一五一石余・反別二二町五反余、家数二五(うち本百姓二二)・人数九二(うち本百姓八六)、牛二九、米蔵一、紙漉舟一六、鉄砲七。 徳次村とくつぎむら 愛知県:西尾市徳次村[現在地名]西尾市徳次町市の東を南西流する矢作古(やはぎふる)川の右岸に開けた集落よりなり、西に氾濫平野が広がる。八(や)ッ面(おもて)山の南に位置する。徳須村とも記す。元文元年(一七三六)の石高三五四石六斗余、以後、本高は変わらないが、新田高が一〇石前後で多少の移動をみせる。本高でも新田畑でも畑地が多い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by