徳沢村(読み)とくさわむら

日本歴史地名大系 「徳沢村」の解説

徳沢村
とくさわむら

[現在地名]大内町徳沢

いも川の下流にあり、東は加賀沢かがさわ村・大倉沢おおくらざわ村、西は福田ふくだ村・払川はらいがわ村に接する。川を挟んで北に下滝しもだき金崎かなざき下徳沢しもとくさわ、南に向徳沢むかいとくさわ集落があり、徳沢村はその総称

慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に村名がある。各年の検地帳に「油利新沢之内徳沢村」と記される。

寛永二年(一六二五)の検地帳(岩谷村史資料篇)に「田畑屋敷合 拾五町壱反九畝拾歩 分米合七拾八石六斗六升九合」とある。

徳沢村
とくさわむら

[現在地名]西会津町群岡むらおか

下野尻しものじり村の北西方、阿賀川左岸に位置する。同川は当地付近からは越後国津川つがわ(現新潟県津川町)への通船が可能となり、通船役場・御蔵などが設置されていた(石本家文書)。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では稲川いながわ郡のうちに徳沢とみえ、高一一七石余。寛文五年(一六六五)の野沢組土地帳(西会津町史編さん室蔵)では高一三七石余、家数一九、男八五・女六六、馬一〇。同帳には「此村之営、安賀ノ川ニテ魚ヲ取並奥山ニ而栗拾ヒ」とみえ、川役一分七匁を納めて、赤髪あかがみ大半蔵だいはんぞう瀬戸せと川口かわぐちなどの急流に棚を作って、隣村下野尻村の端村大下野尻おおしものじりと同様に川漁をしていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報