日本歴史地名大系 「恩納間切」の解説 恩納間切うんなまぎり 沖縄県:沖縄島北部恩納村恩納間切沖縄島北部西海岸、国頭方の南西端に位置し、北東は名護(なぐ)間切、東は金武(ちん)間切、南東から南は中頭方美里(んざとう)間切・越来(ぐいーく)間切、南西は読谷山(ゆんたんじや)間切に接し、西から北西は東シナ海に面する。「琉球国旧記」「球陽」では恩納郡・恩納県とも記される。間切番所は恩納(うんな)村に置かれ、首里から間切番所までの道程九里二五八町余(里積記)。「球陽」尚貞王五年(一六七三)条によれば金武郡(金武間切)内の四邑と読谷山間切の八邑を合せて一二村で新しく恩納郡(恩納間切)を置き、向弘毅(大里王子朝亮)・毛国瑞(佐渡山親方安治)に与えた。のち新たに一邑を設け、また二邑は合して一邑としたという。按司地頭に大里王子朝亮、総地頭に佐渡山親方が任じられた。創設時の一二村について「南島風土記」は金武間切から恩納・瀬良垣(しらかち)・安富祖(あふす)・名嘉真(なかま)の四村、読谷山間切から谷茶(たんちや)・富着(ふじち)(上・下富着を含む)・仲泊(なかどうまい)・読谷山(ゆんたんざ)(のち山田に改称)・久良波(くらふあ)(倉波とも)・真栄田(めーだ)(前田)・塩屋(すや)・与久田(ゆくだ)の八村を割いた。のちに前兼久(めーがにく)村を新立し、塩屋・与久田の二村を真栄田村に合併し、久良波は山田村に合併して一〇村となったとする。しかし真栄田村・山田村への合併については不明。「琉球国由来記」に恩納間切役人として谷茶大屋子(地頭代)・富著大屋子・瀬良垣大屋子・前兼久大屋子(以上四員夫地頭)、首里大屋子・大掟・南風掟・西掟・名嘉真掟・安富祖掟・恩納掟・仲泊掟・山田掟・真栄田掟・久留原掟がみえ、また拝所および祭祀については恩納・真栄田・読谷山・富着・仲泊・前兼久・谷茶・安富祖・名嘉真・瀬良垣の一〇ヵ村名がみえ、拝所一一ヵ所。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by