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呂后 りょこうLü-hou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

呂后
りょこう
Lü-hou

[生]?
[没]呂后雉8(前180).8.
中国,前漢の高祖の皇后。山陽単父 (山東省単県) の人。恵帝の生母。沛 (はい) の亭長であった劉邦に嫁ぎ,彼と苦難をともにした。劉邦は帝位につくと,戚夫人を愛し,その子如意を皇太子にしようとしたため,后はこれを恨み,高祖が死ぬと,戚夫人と如意を虐殺した。恵帝の時代,呂后は太后となって政権を握ったが,恵帝が死ぬと,幼い少帝恭を即位させてみずからは摂政となり,高祖の意にそむいて,呂氏一族4人を王に,6人を列侯に封じた。次いで少帝恭を幽殺し,恒山王義を帝位につけた (少帝弘) 。呂后が死ぬと,呂氏一族は乱を企てたが,高祖の功臣たちのために誅された (→呂氏の乱 ) 。

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デジタル大辞泉の解説

りょ‐こう【呂后】

[?~前180]中国、前漢の高祖劉邦(りゅうほう)の后。姓は呂、名は雉(ち)。字(あざな)は娥姁(がく)。高祖の子恵帝の死後、政権を掌握し、自分の一族を諸侯に封じたため、死後、呂氏の乱を招いた。

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百科事典マイペディアの解説

呂后【りょこう】

中国,前漢の高祖(劉邦)の皇后。創業にあたって内助の功あり,高祖の死後は幼帝を立てて,政治の実権を握り,一族を重用して劉氏を圧した。その死後,高祖の功臣周渤(しゅうぼつ),陳平らは呂氏一族を滅ぼした。
→関連項目

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世界大百科事典 第2版の解説

りょこう【呂后 Lǚ hòu】

?‐前180
中国,前漢の高祖劉邦の皇后呂雉(りよち)。もと山陽単父(ぜんほ)(現,山東省単県)の出身。恵帝と魯元公主の生母。人となりは剛毅で,劉邦の覇業をよく助け,とくに韓信,彭越,黥布など異姓の諸侯王の謀殺に辣腕を振るった。のち高祖は戚(せき)姫を寵愛し,戚姫の生んだ趙王如意を太子に立てようとしたが,呂后の画策により実現しなかった。高祖の死後,生子の恵帝が即位し,みずからは皇太后となり,恵帝の姉魯元公主の女を皇后とした。

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大辞林 第三版の解説

りょこう【呂后】

?~前180) 前漢の高祖(劉邦)の皇后。高祖が沛はいの亭長であったとき妻となり、その天下統一を助けた。高祖死後、政権を独占した。 → 呂氏の乱

ろこう【呂后】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

呂后
りょこう
(?―前180)

中国、前漢の高祖劉邦(りゅうほう)の皇后。名は雉(ち)、字(あざな)は娥(がく)。劉邦が沛(はい)の亭長時代に妻となった。楚(そ)・漢の抗争期には、父母や幼児盈(えい)(後の恵帝)とともに項羽軍に捕らえられるなどの苦難をくぐり抜け、紀元前202年劉邦の皇帝即位に伴い皇后となった。皇后の名が史書に記される初例である。高祖には8人の男子があり、呂后が産んだのは病弱な盈のみで、彼女は盈の皇太子の地位を守るために、他の夫人、王子を強く警戒した。前195年高祖が没し盈が即位して恵帝となると、呂后は高祖の諸王子を次々と殺した。高祖は生前、寵妃(ちょうき)(せき)夫人の子趙(ちょう)王如意(にょい)を盈にかえて皇太子にすることを考えたらしいが、そこで呂后はまず如意を毒殺し、さらに、戚夫人の手足を断ち、眼球をえぐり、薬で聾唖(ろうあ)にし、厠(かわや)に投げ込んで人(ひとぶた)とよばせた。そのほか、淮陽(わいよう)王友(ゆう)、梁(りょう)王快(かい)、燕(えん)王建(けん)が非業の死を遂げている。恵帝が在位7年で嗣子(しし)なく没すると、後宮の女官が産んだ子を皇帝位につけ(少帝恭(きょう))、やがてこれも殺して、同じく後宮の子恒山(こうざん)王弘(こう)をたて(少帝弘)、自ら臨朝称制して政権を握った。呂氏一族を登用し、呂台(りょい)、呂産(りょさん)、呂禄(りょろく)などを王に封じ、南北軍を統御させて首都の兵力を手中に収め、劉氏政権が呂氏に制圧されてしまった。呂后が没するや乱を起こそうとした呂氏一族を、太尉周勃(しゅうぼつ)、丞相陳平(じょうしょうちんぺい)ら高祖の功臣たちがすばやく鎮圧し、呂氏は族滅させられた。[春日井明]

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世界大百科事典内の呂后の言及

【外戚】より

…中国で皇后または皇太后の一族をいう。ことにその父や兄は,娘または妹にあたる皇后や皇太后を介して国政に容喙(ようかい)し,絶大な権勢をふるうとともに,一族郎党がその権勢を背景にして横暴をはたらくことが多い。皇帝が幼少で,皇太后が摂政になったとき,あるいは皇帝が暗愚で,皇后の力が強いとき,そのような現象がおこりやすい。漢の高祖劉邦の死後,呂(りよ)太后が若年の恵帝をさしおいて国政を動かし,呂氏一族とともに天下を奪いとろうとしたことや,唐の高宗の皇后則天武后がついに唐の国家を奪って国号を周と改めたことなどは,外戚による簒奪というよりも,むしろ皇后ないし皇太后自身による政変というべきだが,もとより外戚による簒奪の例も存在する。…

【糞】より

…人糞に残った栄養物をなお消化しうるから豚が食べるわけで,落ちてくる糞を豚が待つ厠は,かつて大陸から琉球,台湾,さらにフィリピンにまで伝えられた。漢の高祖の死後,呂后(りよこう)が高祖の愛妾(あいしよう)戚(せき)夫人の手足を切り,目をえぐって耳を焼き,厠に入れて人彘(じんてい)(彘は〈豚〉の意)とあざけったのも圂の習俗による。日本には《倭玉篇(わごくへん)》などに〈溷〉は〈カワヤ〉であると記されているが,豚をたくさん飼うことはなく,実体としての溷はなかった。…

※「呂后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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