中国、前漢の高祖劉邦(りゅうほう)の皇后。名は雉(ち)、字(あざな)は娥(がく)。劉邦が沛(はい)の亭長時代に妻となった。楚(そ)・漢の抗争期には、父母や幼児盈(えい)(後の恵帝)とともに項羽軍に捕らえられるなどの苦難をくぐり抜け、紀元前202年劉邦の皇帝即位に伴い皇后となった。皇后の名が史書に記される初例である。高祖には8人の男子があり、呂后が産んだのは病弱な盈のみで、彼女は盈の皇太子の地位を守るために、他の夫人、王子を強く警戒した。前195年高祖が没し盈が即位して恵帝となると、呂后は高祖の諸王子を次々と殺した。高祖は生前、寵妃(ちょうき)戚(せき)夫人の子趙(ちょう)王如意(にょい)を盈にかえて皇太子にすることを考えたらしいが、そこで呂后はまず如意を毒殺し、さらに、戚夫人の手足を断ち、眼球をえぐり、薬で聾唖(ろうあ)にし、厠(かわや)に投げ込んで人彘(ひとぶた)とよばせた。そのほか、淮陽(わいよう)王友(ゆう)、梁(りょう)王快(かい)、燕(えん)王建(けん)が非業の死を遂げている。恵帝が在位7年で嗣子(しし)なく没すると、後宮の女官が産んだ子を皇帝位につけ(少帝恭(きょう))、やがてこれも殺して、同じく後宮の子恒山(こうざん)王弘(こう)をたて(少帝弘)、自ら臨朝称制して政権を握った。呂氏一族を登用し、呂台(りょい)、呂産(りょさん)、呂禄(りょろく)などを王に封じ、南北軍を統御させて首都の兵力を手中に収め、劉氏政権が呂氏に制圧されてしまった。呂后が没するや乱を起こそうとした呂氏一族を、太尉周勃(しゅうぼつ)、丞相陳平(じょうしょうちんぺい)ら高祖の功臣たちがすばやく鎮圧し、呂氏は族滅させられた。
[春日井明]
中国,前漢の高祖劉邦の皇后呂雉(りよち)。もと山陽単父(ぜんほ)(現,山東省単県)の出身。恵帝と魯元公主の生母。人となりは剛毅で,劉邦の覇業をよく助け,とくに韓信,彭越,黥布など異姓の諸侯王の謀殺に辣腕を振るった。のち高祖は戚(せき)姫を寵愛し,戚姫の生んだ趙王如意を太子に立てようとしたが,呂后の画策により実現しなかった。高祖の死後,生子の恵帝が即位し,みずからは皇太后となり,恵帝の姉魯元公主の女を皇后とした。これ以後,16年にわたって漢朝の実権を掌握した。趙王を毒殺し,戚姫に対しては残忍な仕打ちをおこなった。手足を切断し,眼をえぐり取り,聾啞にして,厠中に捨てた。便所にはブタを飼うのにちなんで人彘(じんてい)と号した。これを見た恵帝は発病し,淫楽にふけって朝政を顧みなくなった。前188年即位後7年で恵帝が崩ずると,皇后に子がなかったので後宮の美人(女官)の子を取って3代皇帝(少帝恭)となし,幼少の少帝に代わって臨朝して万事を裁決した。兄の子の呂台と呂産に南軍と北軍とを率いさせ,呂台,呂産など四人を諸侯王に封建した。少帝恭が成長して皇后の実子でないことを知ると,これを宮中の永巷に幽閉し,代わって恒山王を4代皇帝(少帝弘)とした。呂太后の死後,高祖の遺臣周勃,陳平と劉章など劉氏一族が結束して呂氏を族誅し,代王を迎えて文帝とした。
執筆者:上田 早苗
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?~前180
呂太后ともいう。漢の高祖(劉邦(りゅうほう))の皇后。高祖が沛(はい)(江蘇省沛県)の亭長のとき妻となる。以来高祖と苦難をともにし,高祖没後は呂氏一族を重用して政権を握った。没後呂氏の乱が起こった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…中国で皇后または皇太后の一族をいう。ことにその父や兄は,娘または妹にあたる皇后や皇太后を介して国政に容喙(ようかい)し,絶大な権勢をふるうとともに,一族郎党がその権勢を背景にして横暴をはたらくことが多い。皇帝が幼少で,皇太后が摂政になったとき,あるいは皇帝が暗愚で,皇后の力が強いとき,そのような現象がおこりやすい。漢の高祖劉邦の死後,呂(りよ)太后が若年の恵帝をさしおいて国政を動かし,呂氏一族とともに天下を奪いとろうとしたことや,唐の高宗の皇后則天武后がついに唐の国家を奪って国号を周と改めたことなどは,外戚による簒奪というよりも,むしろ皇后ないし皇太后自身による政変というべきだが,もとより外戚による簒奪の例も存在する。…
…人糞に残った栄養物をなお消化しうるから豚が食べるわけで,落ちてくる糞を豚が待つ厠は,かつて大陸から琉球,台湾,さらにフィリピンにまで伝えられた。漢の高祖の死後,呂后(りよこう)が高祖の愛妾(あいしよう)戚(せき)夫人の手足を切り,目をえぐって耳を焼き,厠に入れて人彘(じんてい)(彘は〈豚〉の意)とあざけったのも圂の習俗による。日本には《倭玉篇(わごくへん)》などに〈溷〉は〈カワヤ〉であると記されているが,豚をたくさん飼うことはなく,実体としての溷はなかった。…
※「呂后」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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