呂氏の乱(読み)リョシノラン

デジタル大辞泉 「呂氏の乱」の意味・読み・例文・類語

りょし‐の‐らん【呂氏の乱】

前180年、高祖劉邦りゅうほう皇后呂后りょこう死後政治を独占していた呂氏一族を、劉氏一族と陳平周勃しゅうぼつらが協力して滅ぼした事件

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精選版 日本国語大辞典 「呂氏の乱」の意味・読み・例文・類語

りょし‐の‐らん【呂氏の乱】

  1. 中国漢初に呂氏一族が滅ぼされた事件。高祖(劉邦)の死後、呂后は同族を王に封じて政治を独占したが、呂后の死後、呂氏は劉一族によって全滅させられ、文帝が即位した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呂氏の乱」の意味・わかりやすい解説

呂氏の乱
りょしのらん

中国、前漢初期の紀元前180年、劉(りゅう)氏政権を擁護する一派が呂氏一族を誅滅(ちゅうめつ)した事件。高祖劉邦(りゅうほう)の死(前195)後、皇后であった呂后(りょこう)が親政を行い、一族の呂産(りょさん)、呂禄(りょろく)らを王侯にとりたて政治を独占した。王朝交代の危機を感じた劉章(りゅうしょう)、劉襄(りゅうじょう)らは、呂后の死後ただちに兵をおこし、宮中にて近衛(このえ)軍の兵権を握った高祖の功臣陳平(ちんぺい)、周勃(しゅうぼつ)、灌嬰(かんえい)らとともに呂氏を攻め、一族の老若男女をことごとく誅殺した。この事件後、代王劉恒(りゅうこう)(高祖の次男)が迎えられて位についた。これが文帝である。

尾形 勇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呂氏の乱」の意味・わかりやすい解説

呂氏の乱
りょしのらん
Lü-shi; Lü-shih

中国,前漢初めの呂氏一族の乱。恵帝が死ぬと生母呂太后摂政となって,後宮の子の少帝恭,少帝弘を帝位につけ,高祖遺訓にそむいて呂産,呂台,呂禄,呂通を王とし,6人を列侯に封じ,さらに呂産を相国,呂禄を上将軍とするなど権力をほしいままにした。少帝弘の4 (前 180) 年呂太后が没すると,呂産らは誅されることを恐れて乱を企てた。朱虚侯劉章,斉王劉襄らは太尉周勃,丞相陳平らと討呂の意を明らかにし,呂氏一族を急襲して殺し,乱を鎮定し,代王劉恒を迎えて文帝とした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「呂氏の乱」の解説

呂氏の乱(りょしのらん)

漢の高祖(劉邦(りゅうほう))の没後,呂氏一族の専権が漢室劉氏(りゅうし)一族との反目を生じ,前180年呂后の没後表面化した。劉氏は高祖の功臣周勃(しゅうぼつ),陳平らと謀り,機先を制して呂氏一族を全滅させ,劉恒(りゅうこう)(文帝)が即位した。

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