日本歴史地名大系 「恵観山荘跡」の解説 恵観山荘跡えかんさんそうあと 京都市:北区西賀茂村恵観山荘跡[現在地名]北区西賀茂今原町付近後水尾天皇・近衛信尋の弟で、明正・後光明両天皇の摂政関白を務めた一条昭良の山荘跡。恵観は剃髪した後の号である。昭良は寛永一八年(一六四一)頃西賀茂に土地を求めて山荘を営んだ。「温故録」には「慶安四年西賀茂山荘造作」とあり、襖の絵に「慶安五年七月廿二日」の墨書銘があったとするが、金閣寺の鳳林承章の日記「隔記」によれば、これ以前正保三年(一六四六)一一月三日、昭良に西賀茂(山荘)へ招かれ、茶の湯と連句のひと時を持ったことが記されるから、山荘はほぼ一〇年の歳月を要して慶安初年に完成したとみられる。<資料は省略されています>この記事によれば書院・数奇屋があり、苑池を隔てて茶屋のあったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by