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惟高妙安 いこう みょうあん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

惟高妙安 いこう-みょうあん

1480-1568* 戦国時代の僧。
文明12年生まれ。臨済(りんざい)宗。近江(おうみ)(滋賀県)の人。京都相国寺(しょうこくじ)の瀑岩等紳の法をつぐ。相国寺,南禅寺の住持をつとめた。詩文を景徐周麟(しゅうりん)らにまなび,五山文学者としても知られる。永禄(えいろく)10年12月3日死去。88歳。別号に葉巣など。著作に「詩淵一瀾」「惟高詩集」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

惟高妙安

没年:永禄10.12.3(1568.1.2)
生年:文明12(1480)
室町後期の臨済宗の僧。葉巣子とも号す。近江国(滋賀県)に生まれ,14歳で相国寺に入り,瀑岩等紳の法を嗣ぐ。伯耆国(鳥取県)の山名氏,出雲国(島根県)の尼子氏の帰依を受け,同地の保国寺,海蔵寺に住した。天文9(1540)年相国寺第90世となり,さらに鹿苑院に入り,僧録となった。義堂周信の日記を抄録し,『空華日用工夫略集』にまとめたとされ,同様に瑞渓周鳳の日記を抄録し『臥雲日件録抜尤』とした。いずれも現存する中世禅僧の主要日記のひとつである。

(原田正俊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いこうみょうあん【惟高妙安】

1480‐1567(文明12‐永禄10)
戦国時代の臨済宗夢窓派の禅僧。近江の人。相国寺広徳軒で瀑岩等紳に学び,その法を継いだ。伯耆の山名氏などに招かれ,30年間伯耆にとどまり保国寺・海蔵寺に住し,のち相国寺・南禅寺に昇り,さらに1543年(天文12)相国寺鹿苑(ろくおん)院塔主(たつす)となって僧録をつとめ,晩年は広徳軒(のち光源院と改称)に隠居したらしい。学芸を景徐周麟らに学び,衰退期の五山文学を担った文筆僧で,著書は《惟高詩集》など。

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