日本大百科全書(ニッポニカ) 「臥雲日件録」の意味・わかりやすい解説
臥雲日件録
がうんにっけんろく
室町時代の五山僧瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記。日件録とは「其(そ)ノ行イヲ録スル事、日ニ百八件」という永明延寿(ようめいえんじゅ)伝に拠(よ)る瑞渓自身の命名。もとは、1446年(文安3)から73年(文明5)の彼の死の直前まで書かれた74冊があり、彼の寮舎にちなんで「北禅(ほくぜん)日件録」「寿星(じゅせい)日件録」などとよばれていたが、この原日記は散逸し、1562年(永禄5)に惟高妙安(いこうみょうあん)が抄出した『臥雲日件録抜尤(ばつゆう)』1冊としてのみ伝わる。瑞渓の別号「臥雲山人」に基づく呼称である。瑞渓は鹿苑僧録(ろくおんそうろく)として公武の要人と交渉が多く、『蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)』中断期の史実を伝え、政治史、禅林史の史料としても貴重であるが、『抜尤』は五山の往時をしのぶ名僧・文筆僧の逸話や、当時の文芸活動に関する記事に焦点をあてている。ことに原日記表紙裏に瑞渓が記しておいた諸典籍からの章句の抜き書きは『抜尤』にも載せられ、五山学芸史上好個の史料を提供する。『大日本古記録』、『続史籍集覧』3に所収される。
[田中博美]