成岡村
なりおかむら
[現在地名]下郷町栄富
刈合村・萩原村の北、戸石川が阿賀川に合流する地点の北岸の平地と段丘上に立地。屋敷・上ミ田・家ノ下に縄文土器・弥生土器・須恵器・石鏃などが出土する遺跡がある。弥五島村との間の阿賀川に架かる橋坂橋を渡り南山松川通に出る。戸石川には刈合村へ通ずる橋が架かる。南山御蔵入領楢原組に属する。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では楢原郷のうちに村名がみえる。貞享二年(一六八五)の「楢原郷地下風俗覚書」によると、鎮守は天神社(現北野神社)で栗林がある。元禄四年(一六九一)の万覚書帳(下郷町史資料集)によれば高二五五石余、反別田三町余・畑四七町余、家数三五・竈数四四、うち水呑・名子五、人数二〇三、馬一八。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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