…また《赤い鳥》流の文芸主義的な綴方を批判して,綴方と社会科学との結合をめざし,東北農村の地域性,厳しい自然環境とそのなかでの児童を含めた過酷な農漁業労働や貧しい生活をふまえた生活学習を展開しようとした。編集兼発行人の成田忠久を中心に同地方の綴方教師滑川道夫や佐々木昂らの同人組織として,実践記録や創作のほか,児童作品の批評,学校文集の紹介などを行い,教育のリアリズムや生活と表現の問題を論じた。北方教育社の教育改造運動はこの雑誌およびサークル活動・研究会を通じて県外グループとの交流が広がり,34年11月の北日本国語教育連盟結成の軸となるなど〈北方性教育運動〉へと発展した。…
※「成田忠久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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