…1509年(永正6)ころ,連歌師柴屋軒宗長は成田顕泰(親泰の父)を訪ね〈水郷なり,館のめぐり四方沼水幾重ともなく,芦の霜がれ廿余町四方へかけて,水鳥おほく見えわたるさま〉(《東路の津登》)と忍の居館を描写している。90年(天正18)豊臣秀吉の小田原城攻撃に当たり,成田氏長(長泰の子)は相模に出陣して籠城し,忍城は石田三成の水攻めにあった。秀吉と氏長との和談により忍城は陥落し,翌年氏長は下野国那須郡烏山に移封,3万7000石が給され,関ヶ原の戦後も続いて支配し,長忠に継承された。…
※「成田氏長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...