朝日日本歴史人物事典 「成田氏長」の解説
成田氏長
生年:天文11(1542)
戦国・安土桃山時代の武将,歌人。武蔵国忍城(埼玉県行田市)城主。長泰の子。左衛門次郎と称し,下総守に任ず。初め上杉謙信に属し,のちに北条氏に従い武蔵北東部に勢力を伸ばす。天正18(1590)年北条氏の滅亡に伴い没落,会津の蒲生氏郷に預けられたが,翌年許され下野国(栃木県)烏山3万7000石の大名となる。歌人の家系の中で歌学を学び,連歌師の紹巴,昌叱,玄仍や冷泉明融,飛鳥井雅継,一色月庵らと活発に交流し,たびたび連歌の会を興行した。烏山の支配は早くから弟泰親に任せて京都に住し,この地で生涯を閉じた。<参考文献>『鷺宮町史』通史編上
(市村高男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報