成田氏長(読み)なりた うじなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成田氏長」の解説

成田氏長 なりた-うじなが

1542-1596* 織豊時代の武将
天文(てんぶん)11年生まれ。成田長泰(ながやす)の長男武蔵(むさし)忍(おし)城(埼玉県)城主。はじめ上杉謙信に,のち北条氏につかえるが,天正(てんしょう)18年豊臣秀吉小田原攻めにより没落。蒲生氏郷(がもう-うじさと),ついで秀吉につかえ,19年下野(しもつけ)(栃木県)烏山(からすやま)城主。3万7000石。歌学をまなび連歌をよくした。文禄(ぶんろく)4年12月11日死去。54歳。通称左馬助

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の成田氏長の言及

【成田氏】より

…1509年(永正6)ころ,連歌師柴屋軒宗長は成田顕泰(親泰の父)を訪ね〈水郷なり,館のめぐり四方沼水幾重ともなく,芦の霜がれ廿余町四方へかけて,水鳥おほく見えわたるさま〉(《東路の津登》)と忍の居館を描写している。90年(天正18)豊臣秀吉の小田原城攻撃に当たり,成田氏長(長泰の子)は相模に出陣して籠城し,忍城は石田三成の水攻めにあった。秀吉と氏長との和談により忍城は陥落し,翌年氏長は下野国那須郡烏山に移封,3万7000石が給され,関ヶ原の戦後も続いて支配し,長忠に継承された。…

※「成田氏長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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