日本歴史地名大系 「成相寺村」の解説 成相寺村じようそうじむら 島根県:松江市旧秋鹿郡地区成相寺村[現在地名]松江市荘成町(しようじようちよう)庄(しよう)村の北に位置し、西は朝日(あさひ)山(三四一・八メートル)を境に東長江(ひがしながえ)村、北は佐陀本郷(さだほんごう)村(現鹿島町)。中世は佐陀庄に含まれていたとみられるが、文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳写(出雲国造系譜考)の第一番に「成相寺町」とみえ、地頭は椎名小次郎入道であった。至徳二年(一三八五)四月二七日の室町幕府御教書(成相寺文書)からは「成相寺地頭職」が河野駿河守に安堵されたことが知られるが、これらは後述の寺院としての成相寺を中心とした所領をさすと考えられる。 成相寺村なりあいじむら 京都府:宮津市成相寺村[現在地名]宮津市字成相寺府中(ふちゆう)成相山中の成相寺の門前村。慶長検地郷村帳に「府中郷之内」として「成相寺門前」とみえる。その後分離し、個別に高付され延宝三年郷村帳に「府中成相寺村」高六四・五三四石とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by