成相山(かつては世野山)と号し、高野山真言宗、本尊聖観音菩薩。橋立の観音ともいう。西国三十三所観音霊場の二八番札所。
寺伝によれば慶雲元年(七〇四)真応の開山、文武天皇の勅願所という。かつては現在地より上の通称
当寺は「梁塵秘抄」に
とあるように平安時代から修験の霊地として知られた。また観音霊場として知られ、「今昔物語集」巻一六に「丹後国成合観音霊験語」として次のような話が載る。この寺に貧しい僧が籠って修行をしていたが、冬になって食物もなくなってしまった。なにぶん高山にあり、雪も深いので里に出ることもできない。死を覚悟して寺の観音に「只今日
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京都府宮津市にある高野山真言宗の寺。山号は成相山。〈橋立観音〉ともいい,西国三十三所観音霊場の28番札所である。成相山の中腹にあって,眼下に天橋立の景観を一望できる天下の名勝地である。途中の傘松公園は〈股のぞき〉で知られ,付近は丹後の国府や国分寺の跡など史跡や名所が多い。704年(慶雲1)真応上人の草創と伝え,平安時代以降,本尊聖観音の霊験が天下に聞こえ,《今昔物語集》など説話集にも語られて,観音信仰の巡礼参詣で今日まで栄えてきた。本願寺3世覚如の伝記《慕帰絵詞(ぼきえことば)》によれば,1348年(正平3・貞和4)覚如が当寺を訪れたとき,寺内に6坊があり,堂塔は美麗だったと記され,また寺蔵の室町期の参詣曼荼羅には,50宇ほどの堂舎と周辺民家や店舗,舟の出入りが描かれて,中世の繁栄のようすがよくわかる。現在の建物は鐘楼(16世紀)を除いて,本堂,鎮守堂,地蔵堂,奥の院慈眼堂,仁王門などすべて江戸時代の建築である。
執筆者:藤井 学
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京都府宮津市成相寺にある寺。高野山真言(こうやさんしんごん)宗の別格本山。山号は成相山。本尊は聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)。西国(さいごく)三十三所第二十八番観音札所。橋立観音(はしだてかんのん)と称される。704年(慶雲1)真応上人(しんおうしょうにん)が文武(もんむ)天皇の勅願により日本三景の一つ天橋立(あまのはしだて)を眼下に見下ろすこの地の風景を賞して開創したという。『今昔(こんじゃく)物語集』『梁塵(りょうじん)秘抄』などにも観音霊場としての当寺の霊験が説かれており、平安時代には大きな勢力を有した。鎌倉時代以後、寺は山崩れや兵火、雷火などで三度全滅し、そのつど復興された。現在の建物は天文(てんぶん)から文化(ぶんか)年間(1532~1818)にかけて再建されたもの。寺宝に兆殿司(ちょうでんす)筆の絹本着色紅玻璃(はり)阿弥陀(あみだ)像、紙本墨書丹後(たんご)国諸庄(しょう)郷保総田数帳目録(以上、国重要文化財)、鎌倉時代の鉄湯舟があり、本堂内陣には左甚五郎(じんごろう)作と伝える真向(まむき)の竜がある。
[野村全宏]
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