我は海の子

デジタル大辞泉プラス 「我は海の子」の解説

我は海の子

1937年製作のアメリカ映画原題《Captains Courageous》。ラドヤード・キップリングの小説映画化したもの。監督:ビクター・フレミング、出演:フレディー・バーソロミュウ、スペンサー・トレーシー、ライオネル・バリモアほか。第10回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同主演男優賞受賞(スペンサー・トレーシー)。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「我は海の子」の解説

われはうみのこ【我は海の子】

鹿児島芋焼酎海洋深層水海水から分離した海洋酵母を使用、常圧蒸留する。原料コガネセンガン米麹。アルコール度数25%。蔵元の「薩摩酒造」は昭和11年(1936)「薩摩合同酒精」として設立。同24年(1949)現社名に変更所在地は枕崎市立神本町。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の我は海の子の言及

【トレーシー】より

…初め聖職者を志したが,学生芝居で主役を演じてから俳優を志し,ハリウッドのトップスターの一人となった。1935年にMGMへ移ってから芸域の広さを示す作品に恵まれ,とくにビクター・フレミング監督の《我は海の子》(1937)とノーマン・タウログ監督の《少年の町》(1938)でアカデミー賞の歴史で最初にして唯一の2年連続アカデミー主演男優賞の受賞者となり,その後も《桑港》(1936),《花嫁の父》(1950),《日本人の勲章》(1955),《老人と海》(1958),《ニュールンベルグ裁判》(1961),《招かれざる客》(1967)でノミネートされた。 第2次世界大戦前は,飲酒によるトラブルや女優のロレッタ・ヤングとの関係をめぐって好ましからざる風評もあったが,42年のジョージ・スティーブンス監督《女性No.1》をはじめとする9本の作品で共演することになったキャサリン・ヘプバーンとの公私にわたる親交がハリウッドの〈伝説〉になると,トレーシーには別居中の妻がいたにもかかわらず,ゴシップ種にされることもなく,2人で共演した《アダム氏とマダム》(1949)の監督でもある劇作家ガースン・ケニンによる伝記《トレーシーとヘプバーン》(1970)は,良書としてベストセラーにもなった。…

※「我は海の子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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