デジタル大辞泉 「我思う故に我在り」の意味・読み・例文・類語 我われ思おもう故ゆえに我われ在あり 《〈ラテン〉Cogito, ergo sum》フランスの哲学者デカルトの言葉。すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができない。コギト‐エルゴ‐スム。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「我思う故に我在り」の意味・読み・例文・類語 われ【我】 思(おも)う、故(ゆえ)に我(われ)在(あ)り =コギト‐エルゴ‐スム〔改訂増補哲学字彙(1884)〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
故事成語を知る辞典 「我思う故に我在り」の解説 我思う、故に我在り 世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない、ということ。 [使用例] 私が死んでも人々は知らん顔して生きているのだ。この故に私の死は愚劣になる。デカルトは「我思う故に我在り」と言ったが、実は「他人思う故に我在り」の方が本当なのだ[北条民雄*柊の垣のうちから|1938] [由来] 一六~一七世紀のフランスの哲学者、デカルトが、著書「方法序説」の中で用いたことばから。「私は考える、だからこそ、私は存在する」という意味で、近代的な合理論の出発点となった命題だとされています。ラテン語訳のCogito, ergo sum(コジト・エルゴ・スム)でも有名です。 〔英語〕I think, therefore I am. 出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報