メーヌドビラン(読み)めーぬどびらん(その他表記)Maine de Biran

デジタル大辞泉 「メーヌドビラン」の意味・読み・例文・類語

メーヌ‐ド‐ビラン(Maine de Biran)

[1766~1824]フランス哲学者本名フランソワピエール=ゴンティエ=ド=ビラン(François Pierre Gontier de Biran)。観念学派から出発し、主意主義に進んだが、晩年神秘主義に近づいた。著「思考能力に及ぼす習慣影響」「心理学基礎」など。

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精選版 日本国語大辞典 「メーヌドビラン」の意味・読み・例文・類語

メーヌ‐ド‐ビラン

  1. ( Maine de Biran ) フランスの哲学者。本名、マリ=フランソワ=ピエール=ゴンティエ=ド=ビラン。内省的方法による心理学的形而上学を樹立し、デカルトを模して「われ意志するゆえに、われあり」という主意主義を主張。晩年は神秘主義に接近。(一七六六‐一八二四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メーヌドビラン」の意味・わかりやすい解説

メーヌ・ド・ビラン
めーぬどびらん
Maine de Biran
(1766―1824)

フランスの哲学者。ベルジュラックの生まれ。19世紀フランス形而上(けいじじょう)学の始祖。その多彩な政治家的経歴にもかかわらず、彼は繊細かつ内省的であり、その哲学はコンディヤックの流れをくみ、カバニス、デスチュット・ド・トラシ、アンペールらの観念学派に近い。

 出発点として、内的な直接的知覚の不可疑的性格を置き、これによって、われわれの「われ」は、まったく自由な意志の、唯一にして分解できない形態において把握されると考える。この「われ」は、デカルトの「われ」が身体を捨象した「われ」であったのに対し、身体と精神との統一としての「意志」であり、意志し働くことが「われ」の根源的な存在証明であるとし、「われ思う、故にわれ在り」cogito ergo sumと唱えたデカルトに対して、「われ意志す、ゆえにわれあり」volo ergo sumと主張した。晩年は、生を動物的生、人間的生、霊的生(人間と神との合一)の3段階に分け、マルブランシュ的な神秘的形而上学を唱えた。著書に『思考能力に及ぼす習慣の影響』(1802)、『心理学の基礎』(1812)、『新人間論』(1823~1824)などがある。

[足立和浩 2015年6月17日]

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改訂新版 世界大百科事典 「メーヌドビラン」の意味・わかりやすい解説

メーヌ・ド・ビラン
Maine de Biran
生没年:1766-1824

フランスの哲学者。本名Marie François Pierre Gontier de Biran。ドルドーニュ県行政官(1795-97),五百人会議議員(1797),立法議会議員(1812-14,16-24)を歴任。彼は意識の事実の内面的知覚を方法とする立場から出発する。まず,コンディヤックの感覚論をカバニスやデステュット・ド・トラシーの観念学の方向に修正し,習慣が能動的印象(知覚)をたすけて受動的印象(狭義の感覚)の束縛から解放するときに,思考は真の発達をとげると主張した(《思考能力に及ぼす習慣の影響》1802)。ついでこの考えを発展させ,人は動的,自発的努力によって受動的な感受性に打ち勝つべきであると力説した(《思考の分解》1805,《心理学基礎論》1812)。最後に彼は,パスカルの三つの秩序に対抗する三つの生(動物的生,人間的生,霊的生)の区別を説き,神への没入(実践的には犠牲と愛の生活)の重要性を教えた(《日記》1815-24,《人間学新論》1823-24)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メーヌドビラン」の意味・わかりやすい解説

メーヌ・ド・ビラン
Maine de Biran

[生]1766.11.29. ベルジュラック
[没]1824.7.20. パリ
フランスの哲学者,政治家。本名 Marie François Pierre Gonthier de Biran。 1784年近衛士官となり,89年ルイ 16世をベルサイユで救った。 93年一時引退,数学と哲学を研究。 97年五百人議会に,続いて下院に選ばれるなど政治家として活躍。この間 1802年学士院の懸賞論文コンクールに『思考能力に及ぼす習慣の影響』をもって1等となり,カバニスやデステュット・ド・トラシーらの観念学者と交わり,05年には別のコンクールで『思考の分析覚え書』 Décomposition de la penséeで1等賞を得,学士院会員となった。彼の思想はウォロ・エルゴ・スムと表現されている。主著"Essai sur les fondements de la psychologie" (1812) ,"Nouveaux essais d'anthropologie" (23~24) 。

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百科事典マイペディア 「メーヌドビラン」の意味・わかりやすい解説

メーヌ・ド・ビラン

フランスの哲学者。本名マリー・フランソア・ピエール・ゴンティエ・ド・ビラン。観念学(イデオロジスト)から出発しながら,精神の能動性・自発性を認めることによってその唯物論的傾向に反対し,〈我意志す,故に我あり〉と唱えた。のち,キリスト教的神秘主義に到達。著書《心理学基礎論》(1812年),《人間学新論》(1823年―1824年)など。

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367日誕生日大事典 「メーヌドビラン」の解説

メーヌ・ド・ビラン

生年月日:1766年11月29日
フランスの哲学者,政治家
1824年没

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世界大百科事典(旧版)内のメーヌドビランの言及

【精神】より

…カントにおける実践の主体としての理性の概念,フィヒテにおける根源的活動性としての自我の概念,ヘーゲルにおけるおのれを外化し客観化しつつ生成してゆく精神の概念などにそれが見られよう。フランスにおいても,意識を努力と見るメーヌ・ド・ビラン,精神を目的志向的な欲求や働きと見るラベソン・モリアン,意識を純粋持続として,純粋記憶として,さらには〈生の躍動(エラン・ビタール)〉の展開のなかでとらえようとするベルグソンらの唯心論の伝統があるが,ここにも同じような傾向が認められる。当然のことながら,こうした展開のなかで精神は単なる知的な能力としてではなく,むしろ意欲・意志としてとらえられるようになる。…

※「メーヌドビラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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