戸沢政盛(読み)とざわ・まさもり

朝日日本歴史人物事典 「戸沢政盛」の解説

戸沢政盛

没年:慶安1.閏1.22(1648.3.16)
生年天正13(1585)
安土桃山・江戸前期の出羽新庄藩(山形県)初代藩主。角館(秋田県)城主盛安の子。幼名九郎五郎。文禄2(1593)年1月家督を継ぐ。慶長5(1600)年の上杉・最上両軍の合戦には,最上義光と起請文を交わして同盟し,東軍に味方して戦った。慶長7年,常陸国(茨城県)茨城郡小川城(4万石)に入り,11年多賀郡松岡城に移った。松岡在城20年余ののち,山形藩最上氏の改易で,元和8(1622)年最上氏領の一部に移封。初め真室城に入り,まもなく新庄城に移って新庄藩6万8000石の領国造りが始まる。城下町の拡張整備,新田鉱山の開発を進め,以後幕末まで11代にわたり定着する新庄藩の基礎がつくられた。<参考文献>『新庄市史』2巻

(横山昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸沢政盛」の解説

戸沢政盛 とざわ-まさもり

1585-1648 織豊-江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)13年生まれ。戸沢盛安(もりやす)の子。文禄(ぶんろく)2年叔父戸沢光盛の跡をつぎ出羽(でわ)角館(かくのだて)(秋田県)城主。関ケ原戦いのあと常陸(ひたち)(茨城県)松岡藩をへて,元和(げんな)8年出羽新庄藩(山形県)藩主戸沢家初代となった。6万8200石。正保(しょうほ)5年閏(うるう)1月22日死去。64歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸沢政盛の言及

【戸沢氏】より

…出羽国の戦国大名。のち出羽国新庄藩主。鎌倉初期に平貞盛後裔という平衡盛が陸奥国岩手郡滴石(しずくいし)の戸沢郷に拠って戸沢氏を称し,その子兼盛が出羽国山本郡門屋(かどや)に進出,15世紀初めに家盛が同郡角館城を本拠とした,と伝えられる。近世期作成の《戸沢家譜》の説であるが,裏付け史料は未詳。15世紀末の山本郡神宮寺八幡宮棟札に記載の平飛驒守家盛が現存史料上の初見であり,戦国末期にようやく動向も明白となる。…

※「戸沢政盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android