日本歴史地名大系 「手接神社」の解説 手接神社てつぎじんじや 茨城県:東茨城郡小川町与沢村手接神社[現在地名]小川町与沢梶無(かじなし)川の右岸に位置し、華光(けこう)院跡(現橘小学校)の北隣にある。祭神は罔象女命・大己貴命・少彦名命。旧村社。由緒によると文明一三年(一四八一)に行方(なめがた)郡芹沢(せりざわ)村(現玉造町)の芹沢俊幹が祭祀したといい、初め与沢の神橋(よざわのしんばし)にあったが、永正四年(一五〇七)上与沢の篠原(かみよざわのしのはら)神社の社地に移し手接神社と称した。嘉永二年(一八四九)一月社殿が野火で類焼し記録類を失った。現社殿は同年六月に造営された。寛正六年(一四六五)相模国芹沢の芹沢良忠は鎌倉幕府の命で、常陸国荒原(あらはら)郷(現玉造町)を賜って着任した。社伝によると子孫の俊幹は、夜おそく府中(現石岡市)からの帰りに芹沢村の柳橋を渡ろうとしたが、河童に邪魔され馬が動かない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by