払沢村(読み)はらいざわむら

日本歴史地名大系 「払沢村」の解説

払沢村
はらいざわむら

[現在地名]水戸市千波(せんば)町

千波・緑岡(みどりおか)台地の北端地域の本郷と、その南西一四町の地に開かれた新田を併せて形成する村。本郷の北は千波湖に臨み、東は吉田(よしだ)村に接し、新田の西は見川(みがわ)村に接する。年月日未詳の吉田社神事次第写(吉田神社文書)に「吉田払沢村」とみえ、元禄郷帳に「払沢村」とあり、「水府地理温故録」にも「払沢村」と記されるが、文化二年(一八〇五)富沢(とみさわ)村と改めた。


払沢村
はらいざわむら

[現在地名]三和村払沢

万年(まんねん)山北西麓の山間にあり、南を桑曾根(くわぞね)川支流が流れ、山高津(やまたかつ)村に接する。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図には「御料所佐藤玄蕃扱此外四方分はらい沢村 中」とみえ、本納一七石五斗七升・縄高二五石一斗七升五合、家六軒・一九人とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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