持専寺跡(読み)じせんじあと

日本歴史地名大系 「持専寺跡」の解説

持専寺跡
じせんじあと

[現在地名]富山市梅沢町三丁目

梅沢山と号した浄土真宗寺院。本願寺の東西分派にからみ退転し、本願寺三世覚如長男の存覚が開いた常楽じようらく(現京都市)住持が兼帯、通寺とした。また新川にいかわ郡全域にまたがる当寺末寺も常楽寺末となった(諸家分脈系図)親鸞の直弟とされる越中三坊主の一で(遺徳法輪集)、もとは山号にみる梅沢うめざわ(現滑川市)に寺基を構えていた。「存覚上人袖日記」延文五年(一三六〇)閏四月条に越中水橋門徒本尊裏書等を記したとの記述があり、水橋みずはし地域に隣接する梅沢にあった当寺と水橋門徒との間にかかわりがあったと推測される。本願寺九世実如は、明応七年(一四九八)四月一四日に「持専寺門徒新川郡滑川之内田中村 西光寺釈浄信」に(「五尊裏書」善徳寺文書)、永正二年(一五〇五)一二月三日に「持専寺門徒新川郡太田保赤峅 釈道浄」に阿弥陀如来絵像(正西寺蔵)を下付しており、県内の浄土真宗寺院で最も早く自らの門徒をもった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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