水橋(読み)みずはし

日本歴史地名大系 「水橋」の解説

水橋
みずはし

古代から登場する地名富山湾に面した現富山市水橋地区に比定され、古くから交通要衝として知られる。後世の諸記録には、源義経が奥州下向の際に水橋氏を頼みとしたとか、畑等右衛門尉が渡り瀬を教えたなどの義経伝説が多く、水橋城あるいは水橋館があって、水橋将監・水橋安芸守が住したとの所伝もある(越中志徴)。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条によると、水橋駅が磐瀬いわせ駅と布勢ふせ(現黒部市)との間にあり、駅馬五疋が配置されていた。近代以前の常願寺川は、下流部が現富山市水橋池田館みずはしいけだたち水橋畠等みずはしはたけらの境付近で白岩しらいわ川に合流し、北の富山湾に流入していたとみられ、近世東水橋村・西水橋村はこの河口部に位置した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「水橋」の意味・わかりやすい解説

水橋 (みずはし)

越中国(富山県)新川郡,常願寺川河口の港町。《延喜式》に水橋駅が見え,古くから渡河点として北陸道の要衝であった。中世後期には一向宗の水橋門徒の活動が知られている。江戸時代には常願寺川(現,白岩川)をはさんで東水橋と西水橋に分かれ,1646年(正保3)の高付帳には浦方東水橋,浦方西水橋とある。56年(明暦2),70年(寛文10)の〈村御印(むらごいん)〉には合わせて水橋浦とあるが,村役人は別であった。西水橋に1662年に給人蔵宿(きゆうにんくらやど)が,東水橋に67年に年貢収納蔵が置かれ,米の集散地で港でもあった。漁業が盛んで〈村御印〉によると定小物成(じようこものなり)として地子銀,浦役,鮭役,鱒役(ますやく),網役,鰤役(ぶりやく),猟船櫂役(かいやく),渡海船櫂役が課されており,漁獲物は富山,金沢,高山に売られた。越中売薬,新川木綿の中心地でもあった。戸口は1710年(宝永7)に東水橋220戸,1070人,西水橋228戸,1100人。1858年(安政5)には東水橋831戸,3870人,西水橋380戸,1820人であった。1892年の改修支流白岩川が分離され,常願寺川河口部は西水橋の西側に付け替えられた。1940年町制,66年に富山市に編入
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「水橋」の意味・わかりやすい解説

水橋
みずはし

富山市北部の一地区。日本海に臨み、西の常願寺(じょうがんじ)川、東の上市(かみいち)川に挟まれ、中央を白岩川(しらいわがわ)が流れる。『延喜式(えんぎしき)』に北陸道の水橋駅が記され、中世は一向(いっこう)宗水橋門徒の活動の中心であった。江戸時代は北陸街道の要地で物資の集散地として栄えた。河東(かわひがし)七浦の一つで北前(きたまえ)船や能登(のと)通いの船が出入りした。現在は売薬業が多く、水橋郷土資料館には売薬資料が多い。沖合いは特別天然記念物ホタルイカ群遊海面。

[深井三郎]

『『水橋町郷土史』(1954・水橋町)』

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