コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

本多氏 ほんだうじ

4件 の用語解説(本多氏の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

本多氏
ほんだうじ

本姓は藤原。兼通の子孫秀豊のとき,豊後国本多に住し,以来本多氏を称したという。南北朝時代に尾張国に移住し,室町~戦国時代には尾張,三河両国にまたがる土豪として多くの一族をもった。徳川氏に仕え,江戸時代には幕府の重臣として活躍する者を出した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

本多氏【ほんだうじ】

西三河の国人。古くからの松平宗家譜代家臣団で,一族をあげて松平=徳川氏被官となり,徳川将軍家最高の門閥譜代層を形成。大名として明治に至ったものに三河(みかわ)岡崎藩・西端(にしばた)藩,播磨(はりま)山崎藩,陸奥(むつ)泉藩,近江膳所(ぜぜ)藩,伊勢神戸(かんべ)藩,信濃(しなの)飯山藩,安房(あわ)長尾藩の各藩主家がある。
→関連項目岡崎城

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ほんだうじ【本多氏】

西三河の国人領主(図)。一族をあげて松平氏=徳川氏の被官となり,近世には酒井,井伊,榊原氏とともに徳川将軍家の最高の門閥譜代層を形成した。本多氏は太政大臣藤原兼光の子の左大臣顕光より11代目の後裔右馬充助秀が豊後国本多に住してから本多を称し,12代助定は足利尊氏に仕え,尾張国横根,粟飯原の両郷を領したという。13代助政には定通と定正の2子があった。これより本多氏は定通系と定正系の2系統に分かれる。定通系4代助時は松平宗家2代泰親,3代信光に仕え,定正系4代秀清は松平宗家5代長親に仕えたと伝えられる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

本多氏
ほんだうじ

江戸時代、徳川氏に仕えた譜代大名(ふだいだいみょう)。一族は大名、旗本50余家に分かれ繁栄した。家伝によれば、先祖は太政大臣(だいじょうだいじん)藤原兼通(ふじわらのかねみち)の子顕光(あきみつ)とし、11代助秀(すけひで)が豊後国(ぶんごのくに)(大分県)本多に住したので本多を名字とし、12代助定(すけさだ)は足利尊氏(あしかがたかうじ)に従い、恩賞として尾張国(おわりのくに)(愛知県)に所領を与えられた。そして13代助政(すけまさ)の子定通(さだみち)、定正(さだまさ)から2系統に分かれた、としているが、系譜は明確ではない。定通系本多氏は松平氏二祖泰親(やすちか)代から松平氏に歴任した。家康代に活躍し徳川四天王の一人に数えられる平八郎忠勝(ただかつ)はこの宗家の出である。この家は15万石を領し、伊勢(いせ)(三重県)桑名(くわな)、播磨(はりま)(兵庫県)姫路などを転じ、5万石となり、三河(愛知県)岡崎で廃藩を迎えた。別家には陸奥(むつ)(福島県)泉(いずみ)などの大名家があり、泉本多家の忠籌(ただかず)は松平定信(さだのぶ)の協力者として著名である。近江(おうみ)(滋賀県)膳所(ぜぜ)、伊勢(いせ)神戸(かんべ)の本多氏もこの系統とみられている。ここには家康に仕え三河三奉行(さんぶぎょう)の一人と称される重次(しげつぐ)が出ている。定正系本多氏はさらに2系統に分かれ、その一つは家康に仕えて活躍した豊後守広孝(ぶんごのかみひろたか)の系統であり、その子孫は信濃(しなの)(長野県)飯山(いいやま)で廃藩を迎えている。他の一つは家康に近侍した佐渡守(さどのかみ)正信(まさのぶ)の系統で、家康の祖父清康(きよやす)以来松平氏に仕え、家康と正信との関係は水魚のごときだったと称されている。その子正純(まさずみ)も家康側近として権力があったが、秀忠(ひでただ)代に改易となった。この系統には、5代綱吉(つなよし)代に老中に登用された正永(まさなが)(上野(こうずけ)沼田藩主)が出ている。[林 亮勝]
『中村孝也著『家康の臣僚 武将編』(1968・人物往来社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の本多氏の言及

【岡崎藩】より

…康福はわずか8年余の在城で石見浜田へ移され,この地の本多忠粛(ただとし)が入封し,忠典(ただつね),忠顕,忠考(ただなか),忠民(ただもと),忠直とつづいて明治維新をむかえた。この本多氏の治政を藩政成立期の本多氏と区別して後本多の時代というが,入封当初から財政困窮に苦しみ,所替を幕府に願ったが許されず,寛政期には借財が30万両をこえた。そこで家老中根隼人らが中心になって江戸商人三谷に協力を求め,財政の改革を試みた。…

【府中】より

…1575年(天正3)府中三人衆の一人前田利家が居城。1601年(慶長6)結城秀康が3万6000石で付家老本多富正を配して以来,本多氏の城下町として発展した。南端の亀屋町から北府(きたご)町へ北陸街道が北上し,街道に沿って町屋を置き,東方に侍屋敷が広がり,その中央に御茶屋と呼ばれた本多氏の居館があり,西方には寺を配した。…

※「本多氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

本多氏の関連キーワード酒井氏一国諸手を挙げて世を挙げて眉を上げるいかりを上げて松平乗高菅沼氏牧野氏国人領主制

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

本多氏の関連情報