日本歴史地名大系 「掃部長者屋敷跡」の解説
掃部長者屋敷跡
かもんちようじややしきあと
この長者は代々富貴で屋形の数は二二棟、蔵は四八棟で「いろは」の番号をつけ、そのほかに厩・物置を並べ、家の周りに土塁を築き、幅五間の深い堀があっていつも水が満々とみなぎっていた。召使は三六〇人、牛馬は一〇八匹、実に豪華な長者であった。春と秋には貧乏で困っている人々に米や金を恵む情け深い人であった。ところが妻は大へん欲張りで、慈悲も情けもなかった。召使がどんなに疲労しても寝る時間は夜中の一二時頃、召使五人ごとに二間の柱を枕にして休ませ、朝早く木の枕に槌を当てて起こし、米をつく時には杵を上げた力を無駄にしてはならぬといい、後ろの柱に藁を吊して上がる杵で打たせたりした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報