(読み)からみ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「搦」の意味・わかりやすい解説


からみ

九州西部にある有明海(ありあけかい)沿岸、とくに佐賀県域に多い干拓地地名。佐賀平野には寛永(かんえい)~寛文(かんぶん)(1624~73)ごろの築造とされる潮止め第一堤塘(ていとう)の松土居(まつどい)(本土居)が続くが、その海側には搦名の干拓地が鱗(うろこ)状に広がる。福岡・熊本県域の干拓地には開(ひらき)名が多く、筑後(ちくご)川河口の佐賀県大詫間(おおだくま)は明治搦、新興搦など搦名であるのに、同じ一つの川中島をなす福岡県大野島(おおのじま)は内開、長崎開などは開名である。佐賀藩は天明(てんめい)年間(1781~89)六府方(ろっぷがた)を設け、その一つに搦方を置いて干潟(ひがた)の干拓政策を推進したが、それ以前にも宝永(ほうえい)搦などがあり、また明治以後も大正搦などと称した。搦の由来は、潮止めの築堤にあたってまず松丸太の杭(くい)をある間隔で打ち、それに竹などを「カラミ」つけて柵をつくり、堤防(土居)の芯(しん)にしたことに起因するという。搦名は干拓主体名の伝兵衛搦・授産社搦、守護神名の竜神(りゅうじん)搦・弁天搦、佳名の万歳搦・大福搦ほか多様である。

[川崎 茂]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【有明海】より

…この沿岸の干潟地はきわめて肥沃で,古くから自然陸地化の開墾や日本最古とされる干拓工事が鎌倉時代から行われ,とくに江戸時代以後は大規模となった。干潟の発達は筑後川河口西岸の川副(かわそえ)地区に最も顕著で,佐賀平野に面する海岸では年平均1mずつ平地がのび,地名には搦(からみ),籠(こもり),開(ひらき)のつくものが多い。沿岸の干拓地は溝渠(こうきよ)網にめぐらされた九州最大の筑紫平野を形成し,米作を中心とする日本の農業の先進地となっている。…

【川副[町]】より

…古代~中世は河副荘に属した。古くから干拓が行われ,町の中心犬井道(いぬいどう)付近が戦国時代末期の海岸線で,それ以南は江戸時代以降の干拓地であり,籠状の締切り堤防,搦(からみ)がみられる。基幹産業は農漁業で,近年は米作のほか,ナス,キュウリなどの施設園芸,イグサの栽培などが進められている。…

【干拓】より


[日本の干拓]
 東日本に湖沼干拓が多く,西日本に海面干拓が多い。湖沼干拓地は新田という地名であるが,海面干拓は旧藩領によって異なり,八代海の新地,有明海の牟田(むた),搦(からみ),籠(こもり),瀬戸内海の開作,新開などがあり,大阪湾,伊勢湾では新田という。湖沼干拓は17世紀の治水技術の発達によって,干潟八万石,飯沼,見沼,紫雲寺潟などに2000~3000haの干拓地ができた。…

【東与賀[町]】より

…肥沃な低地で,住吉・大野両集落を結ぶ線が戦国時代末期の海岸線と考えられ,それ以南は次々と干拓された土地である。大明神搦(からみ),栄徳搦,嘉永搦など江戸期の干拓地や明治以後干拓組合によって造成された授産社搦など,多く〈搦〉の地名を有する。搦は,堤防に柵をつくり,数年間かけて潟泥を付着・堆積させて土寄せをするものである。…

※「搦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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