日本歴史地名大系 「撞木町遊郭」の解説
撞木町遊郭
しゆもくまちゆうかく
豊臣秀吉が伏見城下町を造成した一六世紀末、京都の
慶長九年(一六〇四)渡辺掃部・前原八右衛門が再興を出願して、富田信濃守屋敷跡に場所を変えて開かれたのが、江戸時代に発展する撞木町遊郭。
延宝六年(一六七八)刊「色道大鏡」や元禄版の「傾城色三味線」には、撞木町遊郭の揚屋・置屋等一〇余軒、郭の門が南方にあったことも記される。赤穂浪士を率いる大石良雄が、敵方の目をくらますため遊興し密計を練ったのも当遊郭といわれ、撞木町の密謀は成就するとの伝説をも生み、来会するものも少なくなかったと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報