デジタル大辞泉 「撞木町」の意味・読み・例文・類語 しゅもく‐まち【撞木町】 《町並みが撞木の形をしていたところから》江戸時代、京都伏見にあった遊郭のこと。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「撞木町」の意味・読み・例文・類語 しゅもく‐まち【撞木町】 ( 町並が、撞木の形(丁字形)に似ていたところから ) 江戸時代、京都恵美酒(えびす)町(京都市伏見区撞木町)にあった遊郭の俗称。しもくまち。[初出の実例]「伏見の鐘木町(シュモクマチ)は、本名夷町(えびすちゃう)也」(出典:評判記・色道大鏡(1678)一二) しもく‐まち【撞木町】 ⇒しゅもくまち(撞木町) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「撞木町」の解説 撞木町しゆもくちよう 愛知県:名古屋市東区撞木町[現在地名]東区橦木(しゆもく)町主税(ちから)町の南に横たわり、同様に東西に長い町で、中級武家屋敷地域のほぼ中心。町の中央を貫く道路の西端が撞木状(丁字形)を示し、これが町名の起源とされる。当町に居住する河原家におともの塚という古墳の跡があり、壬申の乱に敗れた大友皇子方の塚と伝えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「撞木町」の意味・わかりやすい解説 撞木町しゅもくまち 京都市伏見(ふしみ)区夷(えびす)町(恵美酒町)にあった遊廓(ゆうかく)。町の地形が撞木(丁字形)に似ていたので撞木町と俗称した。1604年(慶長9)末の開業で、近くの京都人や京坂を往復する人が遊客となった。元禄(げんろく)年間(1688~1704)には遊女50人、揚屋5軒で、大石内蔵助良雄(くらのすけよしお)らも遊んだという。のち、しだいにさびれ、寛政(かんせい)年間(1789~1801)にはほとんど形を失った。なお、伏見には柳町にも下級の遊廓があった。[原島陽一] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例