撫養口(読み)むやぐち

日本歴史地名大系 「撫養口」の解説

撫養口
むやぐち

撫養町岡崎むやちようおかざきとその対岸大毛おおげ島の鳴門町土佐泊なるとちようとさどまりとに挟まれた、紀伊水道口付近の小鳴門海峡海域をさす。旧吉野川(かつては吉野川本流)分流である撫養川の河口部にもあたり、天然の泊地をなす。撫養川河口部一帯を撫養と称し、この地名は港に船をつなぐ意の「もやい」、あるいは古代の官道である南海道の水駅として設けられた「室屋」の転訛とする説がある。「万葉集註釈」所引の「阿波国風土記」逸文にみえる牟夜むや戸、紀伊高野山僧道範の「南海流浪記」建長元年(一二四九)八月九日条にみえる「牟野口村」はともにこの辺りをさすとみられ、古代から阿波国の玄関口として発達してきた。文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」には「武屋」とみえる。

撫養口の名称は寛永一五―一八年(一六三八―四一)頃の作製と推定される阿波国大絵図(徳島大学附属図書館蔵)にみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報