敏満寺跡(読み)びんまんじあと

日本歴史地名大系 「敏満寺跡」の解説

敏満寺跡
びんまんじあと

[現在地名]多賀町敏満寺

青竜せいりゆう山の西麓一帯に堂宇があった寺院。現存しない。中心部は現在の胡宮このみや神社の社域と思われる。聖徳太子の草創と伝え、慈証経行の地ともいう(延慶二年二月五日「太政官牒」胡宮神社文書)。また敏達天皇開基とも(温故録)、伊吹山三修の高弟敏満童子が開くともいわれる(興福寺官務牒疏)。奈良東大寺領水沼みぬま(現多賀町)とも関連する寺であった。寺は浅井氏との合戦で焼かれ、そのうえ織田信長にも焼かれて再興されず、寺宝は胡宮神社に伝わる。建久九年(一一九八)一二月一九日東大寺再建に尽した重源は仏舎利一粒を入れた銅製の五重塔を寄進し、その送状(胡宮神社文書)を残している。塔は胡宮神社に現存し、台座には「奉施入近江国敏満寺本堂 金銅五輪宝塔一基 於其中 奉安置仏舎利二粒之状如件 建久九年戊午十二月日造東大寺大和尚南無阿弥陀仏記」とあり、舎利の数が送状の一粒が二粒となっていて違う。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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