敷智郡・敷知郡(読み)ふちぐん・ふちぐん

日本歴史地名大系 「敷智郡・敷知郡」の解説

敷智郡・敷知郡
ふちぐん・ふちぐん

遠江国の南西部に位置した郡。古代の郡域は浜名湖東岸部に比定されるが、近世には西岸部にも郡域が拡大している。

〔古代〕

郡名は「和名抄」高山寺本が「敷知」と書き、東急本国郡部は「敷智」と書いて「淵」の訓を付す。郡域は三方原台地から浜名湖東岸に広がる地域に比定される。空海作と伝える遠江浜名淡海図(弘法大師全集)には、浜名湖の「震」(東)に「敷智邑」があると記される。なお「遠江国風土記伝」は「細江の水、淵と為る、故に敷智と号するか」と郡名の由来を説明している。浜名湖東岸には根本ねもと山山麓の深萩ふかはぎ古墳群から蜆塚しじみづか地区にかけて約一八〇基の古墳が分布するが、四―五世紀にかけての古墳は乏しく、北東岸の引佐いなさ郡域などに比べ開発が遅かったようである(静岡県史)。郡名の初見は浜松市伊場いば遺跡から出土した木簡のなかにみえる「(己)亥年(五カ)月十九日淵評竹田里人(以下略)」との表記とされる。ふち評は大宝令以前における敷智郡の呼称。己亥年は文武三年(六九九)にあたる。同遺跡からは七世紀代の木簡が多く出土しており、最古年紀をもつものとしては「□巳年正月生十日柴江五十戸人(下略)」と記された木簡がある。「□巳年」は辛巳年すなわち天武一〇年(六八一)と考えられ、この段階で敷智郡(淵評)柴江しばえ郷で民衆に対する地域別戸籍編成が行われていた。評としての成立もこれ以前にさかのぼると考えられる。

「続日本紀」霊亀元年(七一五)五月二五日条によると、地震によって塞止められた麁玉あらたま河が決壊し、長下ながのしも石田いわた(磐田)・敷智三郡の民家一七〇余区が水没したとある。麁玉河は当時の天竜川水系の主流をなし、現在の馬込まごめ川の河道にあたるという。なお平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡概報」一三―九頁)に「遠江国敷智郡□呼嶋×」の表記がみえる。前述の伊場遺跡や近接する城山しろやま遺跡・梶子かじこ遺跡などからは官衙遺構とともに大量の木簡・墨書土器が出土。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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