日本大百科全書(ニッポニカ) 「文弥人形」の意味・わかりやすい解説
文弥人形
ぶんやにんぎょう
人形芝居の一種。延宝(えんぽう)・元禄(げんろく)(1673~1704)のころに京坂で流行した文弥節を地として演じる。石川県白山(はくさん)市の深瀬(ふかぜ)でくまわし、同市の東二口(ひがしふたくち)文弥人形(通称でくまわし)、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市東郷町の斧淵(おのぶち)文弥人形、宮崎県都城(みやこのじょう)市山之口(やまのくち)町の麓(ふもと)文弥人形がこれにあたる。江戸時代前期の劇界を彩った人形芝居で、発展途上の人形浄瑠璃(じょうるり)の姿をとどめている。人形遣いが着物の裾(すそ)から手を入れて操る裾突っ込み式の一人遣いという点で共通するが、手を操る構造に各地で違いがみえ、伝承の源は一様でないらしい。首(かしら)には一時代前の公平(きんぴら)人形を思わせるものもある。演目は『酒呑童子(しゅてんどうじ)』『大織冠(たいしょくかん)』のような古浄瑠璃本来のもののほか、『源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)』『門出八島(かどでやしま)』『出世景清(しゅっせかげきよ)』のような近松門左衛門の初期の作品をもつ。間狂言(あいきょうげん)としての道化人形もある。なお、現行の佐渡の文弥人形(九座)は明治初頭の初発で、背中差し込み式で人形・首とも大ぶりである。
[西角井正大]