日本大百科全書(ニッポニカ)「佐渡島」の解説
佐渡島
さどがしま
新潟県の日本海上に浮かぶ日本最大の島。越後(えちご)(新潟県本土)から佐渡海峡を隔てて35キロメートル、周囲264.2キロメートル、面積854.30平方キロメートル、1島1市で全島域が佐渡市である。新潟港の新万代島(ばんだいじま)ターミナルから佐渡汽船の定期航路があり、両津(りょうつ)港までジェットフォイル(高速水中翼船)で1時間、3000トン級のフェリーボートで2時間20分で達する。新潟空港から航空路も開け25分で行ける。そのほか直江津(なおえつ)港―小木(おぎ)港、寺泊(てらどまり)港―赤泊港にもフェリーボートが通じている。島内の人口は明治初期以来12万人前後で自然調整されるのが特色であったが、第二次世界大戦後から急激な過疎化現象が目だち、2009年(平成22)現在は6万5055人に減っている。
[山崎久雄]
地形
島の地形は、本県の第三紀丘陵列の最前線をなす北の大佐渡山地と、南の小佐渡山地(小佐渡丘陵)に挟まれた陥没地溝帯の国中平野(くになかへいや)からなり、ゆがんだH字型をなしている。山体は秩父中・古生層を抜いた石英粗面岩質安山岩類からなり、壮年期侵食を受けて島と思えない雄大な山容を呈している。最高峰は大佐渡山地の金北(きんぽく)山(1172メートル)で、山麓(さんろく)は洪積世(更新世)の小地盤運動を受け、標式的な海食段丘を形成している。北東の湾入を両津湾、南西の湾入を真野湾(まのわん)とよんで、地溝帯の国中平野は国府川が潤す。島の景勝地はこの海岸段丘群の海食による海岸景が主体で、その大部分は佐渡弥彦米山(やひこよねやま)国定公園地区に指定されている。両津湾岸の加茂湖(かもこ)は砂州によってふさがれた海跡湖である。冬季の北西季節風の発達で雪は両津湾岸に多いが、南西端の小木半島ではツバキや竹林、ビワの育つ暖地性気候をなす。相川(あいかわ)の年平均気温は13.9℃、年降水量は1506ミリメートル(1981~2010)。
[山崎久雄]
歴史
佐渡に人が住み着くようになったのは、小佐渡山地南西の小木半島からだといわれているが、遺跡もそれを証明するように、小佐渡山地南西の洪積台地や国中平野の台地べりに多い。弥生(やよい)時代には山麓扇状地面に進出して米作りも始められたらしく、国府川べりの金井(かない)には千種住居遺跡(ちぐさじゅうきょいせき)も残る。島は古くから大八洲(おおやしま)の一つに数えられ、大化改新後の702年(大宝2)には「佐渡国」として独立し、721年(養老5)には雑太(さわた)・賀茂(かも)・羽茂(はもち)の3郡に分かれて22郷(ごう)からなり、真野湾岸に国府、国分寺も置かれていた。また、724年(神亀1)には遠流(おんる)の島に定められ、承久(じょうきゅう)の乱(1221)の順徳(じゅんとく)上皇をはじめとして、1271年(文永8)の日蓮(にちれん)、1298年(永仁6)の京極為兼(きょうごくためかね)、1434年(永享6)の観世元清(かんぜもときよ)(世阿弥(ぜあみ))など著名人が流され、その遺跡は佐渡観光史跡の中心をなしている。しかし、佐渡が全国的に有名になったのは、近世初期の1601年(慶長6)に佐渡金山が開発され、江戸幕府の金蔵(かなぐら)と称せられて直轄領となり、相川に佐渡奉行(ぶぎょう)が置かれて「黄金の島」として栄えてからであった。明治維新後に佐渡県、廃藩置県後は相川県となったが、1876年(明治9)新潟県に合併され、佐渡は1島1郡(佐渡郡)となる。2004年(平成16)、両津市、相川町、佐和田(さわた)町、金井町、新穂(にいぼ)村、畑野(はたの)町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村の10市町村が合併し佐渡市となった。この佐渡市の誕生により、佐渡島は全域が佐渡市となり、佐渡郡はなくなった。
[山崎久雄]
産業
古くから佐渡を代表する産業は相川の金山で、その全盛期の元和(げんな)~寛永(かんえい)年間(1615~1644)には「昼千貫(がん)、夜千貫」と形容された金銀の産出があった。当時相川鉱山町の人口はいまの全島の人口を超える10万余を数えたといい、島の住民はなんらかの形で鉱山に関連して生きてきた。しかし、鉱山町の盛衰は激しく、金山遺跡は佐渡観光の名所にかわっている。島本来の主産物は国中平野を中心とする稲作と沿岸漁業で、年間4万トンを産する佐渡米はその半分が移出され、島民の主産業になっている。また、長い海岸線と好漁場に恵まれて、沿岸漁業は県下の三大漁場の一つで、年間水揚高は2万8758トンと県漁獲高の24%(2007)を占めているが、純漁村は少ない。おもな水産物はイカ類、ブリ、スケトウダラを中心に、加茂湖のカキ養殖、真野湾のマダイ・雑魚(ざこ)の養殖、両津湾岸のワカメ養殖など、栽培漁業にかわりつつある。小佐渡海岸の佐渡みそ、おけさ柿(がき)、竹細工品や相川の無名異(むみょうい)焼などの特産も多い。
[山崎久雄]
観光・文化
佐渡は「おけさの島」の名のもとに、年間80万人の観光客を集めている観光の島である。島の観光は中世以来の古い流人文化史跡と、近世の鉱山遺跡に、島特有の段丘地形による海岸景勝地の組合せからなっている。流人文化遺跡は小佐渡山地麓や国中平野に多く、両津港の佐渡汽船ターミナルから小佐渡回り、本線回りの定期バスの便があり、真野の順徳上皇の真野御陵、真野宮、妙宣(みょうせん)寺、新穂(にいぼ)の根本(こんぽん)寺、佐和田の妙照(みょうしょう)寺などの日蓮遺跡が中心をなす。鉱山遺跡は相川が中心で、本線経由の直通バスがある。海岸景勝地巡りは大佐渡山地の外海府(そとかいふ)海岸(国指定名勝)、小木海岸(国指定天然記念物・名勝)が中心で、バスターミナルから定期観光バスが出ている。島の展望台は金井地区の北新保(しんぼ)から相川に通ずる大佐渡スカイラインと、ドンデン山大佐渡ロッジにあって全島の眺めがすばらしく、定期観光バスの便もある。毎年4月に行われる「佐渡島祭」には、鬼太鼓(おんでいこ)、春駒(はるこま)、佐渡おけさ、相川音頭、両津甚句(じんく)などの郷土芸能が披露され、相川、小木、両津などでは常設の芸能館でも観覧できる。また、文化施設には、両津文化会館、本間(ほんま)家能舞台、佐和田の佐渡博物館、相川の佐渡会館、相川郷土博物館、小木の佐渡国小木民俗博物館などがある。なお、日本では新穂にだけ生息していた国際保護鳥トキは、1981年(昭和56)すべて捕獲され、トキ保護センター(現、佐渡トキ保護センター)で飼育されてきた。しかし、2003年(平成15)10月に日本産トキの最後の1羽が死亡し、日本のトキは絶滅した。なお、同センターでは人工繁殖も試みられており、中国産つがいによるヒナが1999年5月に誕生、国内初の成功例となった。
[山崎久雄]
『佐渡教育研究会編『概観佐渡』(1964・金井町同書刊行委員会)』▽『九学会連合編『佐渡 自然・文化・社会』(1963・平凡社)』▽『佐渡地理研究会編『佐渡誌 島の風土とくらし』(1976・佐渡刊行会)』▽『本間国敬著『佐渡郷土辞典』(1950・芸苑社)』