日本歴史地名大系 「文知観音堂」の解説 文知観音堂もちずりかんのんどう 福島県:福島市阿武隈川右岸地区山口村文知観音堂[現在地名]福島市山口山口(やまぐち)に所在する信達三十三観音札所第二番の霊地。文字摺(もじずり)とも称された。別当は曹洞宗安洞(あんとう)院。福島からは一里一六町四〇間(宝暦一一年「巡見使止宿ニ付諸事控帳」穀三文書)。境内は東西三六間・南北二六間、反別二反七畝余であった(信達二郡村誌)。観音堂は大悲(だいひ)閣・大悲堂とも称され、宝永六年(一七〇九)安洞院三世漢補の再建になる小堂である。堂内には多数の絵馬・扁額が奉納されているが、弘化四年(一八四七)信達三十六歌仙の大悲閣法楽俳諧歌一対は有名である。文化九年(一八一二)安洞院八世光隆は方三間の多宝塔(県指定重要文化財)を創建した。棟梁は地元山口村の名匠宇源次藤原義高と口伝されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by