日本歴史地名大系 「新名爪別符」の解説
新名爪別符
にいなづめべつぷ
現新名爪・
当別符内の水田面積は宇佐大鏡によると、長承年間(一一三二―三五)には定田五九町一段四〇代、建久図田帳によれば国衙側の把握していた田代は八〇町、宇佐大鏡編纂時点で宇佐宮側が把握していた起請田の田数は六〇町であった。また応永三年(一三九六)の新名爪別符内検取帳写(新名爪八幡宮文書)によれば、畠地等と推測される重複表記部分を除いて、寺田・神田が一四町七段四〇代、通常の年貢負担地である公方分が一一〇町九段二五代の総計一二五町七段一五代であった。同内検取帳写には当別符の範囲を具体的に示すものとして、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報