新城跡(読み)しんじようあと

日本歴史地名大系 「新城跡」の解説

新城跡
しんじようあと

[現在地名]河野村河野

河野の東方山上にあり、若林長門守を中心とする一向一揆勢が、織田信長の攻略に備えて築いた城。「信長公記」は天正三年(一五七五)八月の織田勢の越前進攻に際し、一揆側の諸城を記すが、そのなかに「海手に新城拵へ、若林長門・息甚七郎父子にて、越前衆罷出で警固なり」とみえる。


新城跡
しむらじようあと

[現在地名]八日市場市新

戦国期の城跡で、天文年間(一五三二―五五)坂田さかた(現横芝町)城主井田氏の被官三谷胤重が居城していたという。城郭は南北に三郭が連なる直線連郭式で、東西一〇〇メートル・南北三〇〇メートルの規模が想定される。I郭は要害ようがいと称され、東西四〇メートル・南北四五メートルで、土塁が築かれる。空堀で区画されるII郭は中城ちゆうじようと通称され、二段状の堀となっている。


新城跡
あらじようあと

[現在地名]出雲崎町稲川

中山なかやま稲川いながわの境字たきいりにある。標高一三一メートル。日本海岸より小木おぎ城へ至る道を扼す位置にある。口碑では貞治年間(一三六二―六八)に新田氏方の佐藤孫次郎が拠ったが、上杉憲顕に攻略されてはなへ敗走したという(温古之栞・小木の城山)。応永(一三九四―一四二八)頃に上杉氏の被官梶原周防守景則が藤巻ふじまきのヤナクネ城から移ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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