日本大百科全書(ニッポニカ) 「新沢千塚」の意味・わかりやすい解説
新沢千塚
にいざわせんづか
奈良県橿原(かしはら)市にある群集墳形態の大古墳群。「しんざわ~」ともいい、川西(かわにし)千塚、鳥屋(とりや)千塚とよばれたこともある。奈良盆地南部の越智丘(おちおか)丘陵上に密集する。約500基の小型の円墳で構成されるが、前方後円墳、前方後方墳、方墳などもある。1962年(昭和37)から66年に、奈良県立橿原考古学研究所が全体の約2割を発掘し、ほぼ全貌(ぜんぼう)を把握した。新沢茶臼山(ちゃうすやま)古墳(500号墳)のように前期の前方後円墳もあるが、大部分は5~6世紀の古墳で、木棺を直葬(ちょくそう)し、玉類、鉄刀、須恵器(すえき)などを副葬する。長方形墳の126号墳からは、ガラスの皿や碗(わん)、火熨斗(ひのし)、漆製盤(ばん)、黄金製の耳飾、指輪、腕輪、歩揺(ほよう)のほか銀製装身具など中国や朝鮮の文物が集中していた。1976年(昭和51)新沢千塚古墳群として国史跡に指定された。
[森 浩一]