新浜(読み)しんはま

日本歴史地名大系 「新浜」の解説

新浜
しんはま

[現在地名]明石市岬町みさきちよう港町みなとちよう

当津とうづ湊の西岸岩屋いわや神社の西から伊弉冊いざなみ神社辺りに至る海岸に面した漁師町で、北は材木ざいもく町・東樽屋ひがしたるや町・西樽屋町、東はふな町・えびす町。元和四年(一六一八)築城とともに成立した明石惣町一〇町のうちに町名はみえないが、城下町の発展とともに成立した町で、天和二年(一六八二)東西のしん町とともに惣町分を申付けられ、惣町の一つとして編入されている(町割年号記)城下の町割が行われた際、明石川河口に住んでいた漁師たちが当地に移されたことに始まる。慶安四年(一六五一)頃になると長林ちようりん寺前から伊弉冊神社鳥居内の東屋松兵衛宅前の浜辺に家が建ち始め、帳面には新浜北輪と記された(同書)

新浜
しんはま

[現在地名]仙台市岡田

岡田おかだ村の南東にあり、「新浜安永風土記」によれば同村端郷。正保元禄・天保の各郷帳にみえないが、「封内風土記」には戸数三二とある。「安永風土記」によると、肝入が置かれ、田三〇貫三〇七文・畑三貫九四〇文で、蔵入二一貫七七四文、ほかは給所。人頭三三人、家数四六(うち名子一三)、男一三二・女一一二、馬二五、舟二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新浜の言及

【山元[町]】より

…江戸時代は亘理伊達氏と大条(おおすじ)氏の知行地。新浜(しんはま),中浜,花釜などで漁業が営まれ,製塩も奨励された。山下では1902年砂丘を開拓してブドウ栽培が行われ,品質のよさで知られる。…

※「新浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」