新羅神社(読み)しんらじんじや

日本歴史地名大系 「新羅神社」の解説

新羅神社
しんらじんじや

[現在地名]南部町沖田面 早稲田

沖田面(おきたおもて)の西南、猿辺(さるべ)川の下流左岸の丘陵地に位置する。祭神は新羅三郎義光命で、旧村社。雑書の承応二年(一六五三)四月一一日条に「同所(三戸)新羅大明神」、同じく一七日条に「同所(三戸)新羅宮」とあり、藩命により祈祷が行われている。宝暦(一七五一―六四)の頃の御領分社堂に「新羅大明神」とあり、永福(えいふく)寺(現岩手県盛岡市)持と考えられる。


新羅神社
しんらじんじや

[現在地名]十和田湖町奥瀬 北向

北向(きたむき)にある。祭神は新羅三郎義光。宝暦(一七五一―六四)の頃の御領分社堂に新羅明神とあり、別当は修験明光院である。奥瀬軍助(内蔵助)の先祖が甲州より勧請したともいい、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「新羅堂 光行公御元結相納云云」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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