新陽明門院(読み)しんようめいもんいん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「新陽明門院」の解説

新陽明門院 しんようめいもんいん

1262-1296 鎌倉時代,亀山上皇の女御(にょうご)。
弘長2年生まれ。近衛基平(このえ-もとひら)の娘。文永11年(1274)上皇後宮にはいり,12年女御,ついで准三宮(じゅさんぐう)となり,院号をうける。啓仁親王,継仁(つぐひと)親王を生む。正応(しょうおう)3年出家。永仁(えいにん)4年1月22日死去。35歳。名は位子(いし)。法名は覚証。

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朝日日本歴史人物事典 「新陽明門院」の解説

新陽明門院

没年:永仁4.1.22(1296.2.26)
生年:弘長2(1262)
鎌倉後期の女院。関白近衛基平の娘。名は位子。文永11(1274)年亀山上皇に嫁す。翌年2月女御となり,3月院号宣下。啓仁親王,継仁親王(いずれも早世)を生む。また僧侶(松殿兼嗣の子)と密通し,女子を生んだことが『増鏡』にみえる。

(秋山喜代子)

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