於保郷(読み)おほごう

日本歴史地名大系 「於保郷」の解説

於保郷
おほごう

市南東部、今之浦いまのうら川西岸上大之郷かみおおのごう・下大之郷・大原おおわらおよび福田ふくで大原にかけての地域に比定される。「和名抄」記載の磐田郡飯宝おお郷の後身と考えられる。文永五年(一二六八)頃のものとされる年月日欠基重言上状(金沢文庫本斉民要術紙背文書)に「遠江国二宮領於保郷」とあり、遠江二宮(現鹿苑神社)の所領であった。この言上状によれば於保郷をめぐっては領家と地頭との間で相論があり、鎌倉幕府三番引付で訴訟が扱われ領家方の勝訴となった。これを不服とする於保郷地頭代四郎左衛門尉基景とその妹婿景光(浅羽庄地頭筑後左衛門二郎入道智定の縁者)は、領家子息である上総大夫入道賢意の在国中であった文永五年六月九日夜半領家政所を襲撃、賢意および預所覚円らを殺害、証文等を奪い政所を焼払った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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