日中村
につちゆうむら
[現在地名]熱塩加納村熱塩
水沢村の西にあり、集落は南西流する日中川右岸沿いの山麓平地に散在する。散在する集落のほぼ中央に位置する本村、本村の西七町にある小名荒田のほか、「新編会津風土記」では千石沢・宇津原(宇津野原)・堰場(関場)・上原(神原)・田中・古内(布流内)・百目貫・明戸(悪戸)・中在家の端村をあげる。村域は広く、日中川の上流大檜沢流域にそびえる大檜沢山・飯森山・鉢伏山などの山地を含む。「新編会津風土記」に引く加藤氏統治の時代のものとされる四月一五日付の守岡主馬書状によれば、主馬は会津藩主加藤氏に献上する白い百合を採取するため当村忠兵衛へいろいろと指示を与えている。
「会津風土記」に村名が載り、享保一六年(一七三一)の五目組村々書上(福島県史)では高四九三石余、反別は田方二九町四反余・畑方二九町一反余。
日中村
につちゆうむら
[現在地名]立山町日中
白岩川左岸、上段段丘の北端に位置し、集落は岩峅寺道に沿う。東は弓庄舘村(現上市町)、南は柴山村・日中上野村、西は女川新村。村名の由来については、「親元日記」の寛正六年(一四六五)五月二七日条に「越中国日比中村野尻事也」とあり、この日比中村が日中村に変化したという(越中志徴)。またかつて日置村と称していたのが日中村と変化したともいい、諸説ある。集落の北方に垣内の藤塚がある。正保郷帳では高八五石余、田方四町四反余・畑方一町二反余、新田高一二九石余。寛文二年(一六六二)の高六四二石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報