日比谷焼打ち事件(読み)ひびややきうちじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日比谷焼打ち事件」の意味・わかりやすい解説

日比谷焼打ち事件
ひびややきうちじけん

ポーツマス条約反対の暴動事件。 1905年9月5日憲政本党の河野広中,国家主義者頭山満,神鞭知常,佐々友房らは講和条約を不満として「講和問題聯合同志会」の名で,東京の日比谷公園で講和条約反対国民大会を開いた。政府はこの国民大会を禁止するため同公園を閉鎖し警官隊を出動させたが,群衆解散命令を無視して,内務大臣官邸の門を破り襲撃した。また東京市内各所で群衆と警官隊が衝突,暴動化した。群衆は政府擁護の国民新聞社はじめ市内の交番の半数以上に放火し,市中は大混乱となった。桂首相は市内と府下5郡に戒厳令布告軍隊を出動させ,新聞・雑誌などを 11月 28日まで発行停止とした。死者 17名,負傷者約 500名,検束者 2000名。このうち凶徒嘯聚罪で起訴されたもの 370名,有罪の判決を受けたもの 78名,河野広中も入獄したが,翌年無罪となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日比谷焼打ち事件」の解説

日比谷焼打ち事件
ひびややきうちじけん

1905年9月5日,ポーツマス条約に反対しておこった民衆の暴動事件
東京日比谷公園の国民大会は賠償金のないことなどを不満とする国家主義者の指導に始まったが,戦争による生活苦にあえぐ民衆は条約破棄を叫んで暴徒化し,内相官邸・警察署・交番・政府系新聞社を襲った。政府は戒厳令をしいて軍隊を出動させ鎮圧した。しかし,暴動は横浜名古屋・大阪・神戸など各地に波及した。

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