明治・大正・昭和期の国家主義者。黒田藩士の家に生まれ,のち母の実家を継ぐ。1876年同藩の不平士族の蜂起計画に加わって逮捕され,1年間入獄。79年板垣退助の強い影響下に箱田六輔,平岡浩太郎らと向陽社を設立,同じころ別に組織した筑前共愛会とともに国会開設請願運動等を行い,81年箱田や平岡らと玄洋社を設立した。しだいに民権論を離れ,日本はアジアを制覇してその〈盟主〉となるべきだと主張しはじめ,同社をこの国権論で統一する一方で炭坑を同社の財源とすることに成功して,同社の事実上の最高指導者となった。87年,国権論宣伝のため《福陵新報》を創刊。条約改正反対運動で玄洋社員に大隈重信外相を襲わせたり,第2回総選挙で政府の選挙干渉に荷担して福岡県内の民党派を襲撃したことなどで,国権派壮士としての地位を築いた。また,一部の大陸浪人がつくった天佑俠と称する団体に資金を与えたり,対露同志会などに加わり日露開戦を唱えたり,満州義軍を参謀本部の支持の下に派遣するなど,大陸侵略と強硬外交を主張しつづけた。金玉均やビハリ・ボースらの亡命政治家を保護し孫文ら中国人革命家の日本での活動を支援したのも,それを日本の大陸侵略活動の足がかりにする意図による。この後,アメリカの排日移民法に反対した対米強硬外交の主張,普通選挙に反対する家長選挙論の主張などのほかは表だった活動をしなくなっていったとはいえ,右翼の巨頭として隠然たる勢力と政界への影響力をもちつづけた。
執筆者:桂川 光正
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国家主義者、大アジア主義者。安政(あんせい)2年4月12日、福岡藩士筒井家に生まれ、母の実家を継いで頭山と称す。初め矯志社(きょうししゃ)など不平士族の反政府運動に加わり、萩(はぎ)の乱で一時入獄。1878年(明治11)板垣退助(たいすけ)の影響で民権運動に投じ、翌年箱田六輔(ろくすけ)、平岡浩太郎(こうたろう)らと福岡で向陽社(のち共愛会)を設立、国会開設運動を行った。81年国会開設の詔勅が出ると、平岡らと共愛会を玄洋社と改め、民権論から離れて国権の伸張を主張、大アジア主義を唱えるようになった。以後、玄洋社の中心人物として対外強硬論を主張。井上・大隈(おおくま)の条約改正案への反対、第二次松方正義(まつかたまさよし)内閣の内相品川弥二郎(やじろう)のもとでの選挙干渉の推進、天佑侠(てんゆうきょう)や黒竜会への援助、韓国併合の促進などに動いた。辛亥(しんがい)革命に関与する一方、金玉均(きんぎょくきん)、孫文(そんぶん)、ビハリ・ボースなどの亡命政治家を保護、つねに政界の裏面で日本の対外進出のために画策を続けた。右翼の草分け的存在として各界に隠然たる勢力をもち、多くの国家主義者を育てた。昭和19年10月5日没。
[岡部牧夫]
『竹内好編『現代日本思想大系9 アジア主義』(1963・筑摩書房)』▽『葦津珍彦著『大アジア主義と頭山満』(1972・日本教文社)』
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明治〜昭和期の国家主義者,右翼の総帥
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(佐々博雄)
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1855.4.12~1944.10.5
明治~昭和前期のナショナリスト。旧姓筒井。福岡藩士の家に生まれ,母方の頭山家を継ぐ。士族民権結社の矯志社をへて,1879年(明治12)箱田六輔(ろくすけ)・平岡浩太郎らと福岡に向陽社を結成し,民権運動に活躍。81年玄洋社と改称し,国権論・アジア主義を唱道した。日本の膨脹政策支援や孫文などのアジアの政治家の援助を行い,在野の右翼の巨頭として,政界に隠然たる影響力を発揮した。
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…この言葉は,その性格上,客観的記述のためより相手方への評価をこめた政治用語として使われることが多い。【坂本 多加雄】
[日本の右翼]
日本の右翼運動は,明治政府の欧化政策に反対するため,士族反乱や自由民権運動と結んで反政府運動を展開していた平岡浩太郎や頭山満らが,1879年に向陽社を結成し,81年にそれを玄洋社と改称したときに開始された。やがて玄洋社は自由民権運動からはなれ,条約改正即時断行,日清開戦,大陸への進出などの対外強硬策を主張する国家主義団体に成長していった。…
…明治維新後,没落した旧福岡藩士中の不平分子は専制政府打倒を唱え,各地の不平士族の武力蜂起への同調を企てる一方,板垣退助の立志社にならって民権伸張を論じていた。1876年の萩の乱への参加計画が失敗し,翌年の西南戦争に応じた挙兵も鎮圧されると,彼らは箱田六輔,平岡浩太郎,頭山満らを中心に79年向陽社を設立し,愛国社,のちに国会期成同盟の一員として藩閥政府を攻撃し国会開設請願運動を行った。81年向陽社は玄洋社と改称,平岡が社長となり,〈皇室を敬戴す可し 本国を愛重す可し 人民の権利を固守す可し〉との〈憲則〉を制定した。…
…会の名は露清国境を流れる黒竜江(アムール川)からとった。主幹は内田,幹事は葛生修亮(能久),玄洋社での内田の先輩格頭山満を顧問とした。綱領は日本がアジア民族興隆の指導者となるべきことを宣言し,藩閥官僚主義の弊害除去,〈天皇主義の妙諦〉の発揮,現行制度の改造による〈皇国〉の基礎の強化,国防の充実,国粋主義的国民教育の建設などを主張している。…
※「頭山満」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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